一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

彼岸日和



  本日彼岸の中日は、つかの間の花冷え。昨日は絶好の墓参り日和だった。

 久びさ池袋まで出る。三省堂書店ジュンク堂書店を回遊。たしかアレが文庫化されていたはずだが。いずれも探し物には到達できず。刊行目録を調べてみると、ことごとく品切れ中と表示されていた。私がふと思い出すような本は、世間からはよ呼びでないということか。
 新刊単行本の平積みや棚差しは、サッと眺めるだけ。興味惹かれるが、それを読むならその前に、との連想が起る。残りの人生に読むべき優先順位は、それじゃあねえだろうとの、低音の囁き声も耳に届く。
 文芸雑誌ひととおり目次のみ。文学がこうなっている以上、俺がやってるのは文学じゃねえや。だったら何だ、の想い。
 昨シーズン限りで現役引退した篠崎澪選手の本が、たしか三月刊行との広告を視た憶えがあるが、まだのようだ。
 大型書店を二軒も、しかも久かたぶりに歩いて、一冊も買物がないなんて、かつてであれば考えられなかったことだ。今では普通にありえる。私の読書は、古書店だけで用が足りる。

 百貨店地下へ戻り、いつもの両口屋是清にて、ご本尊へのお供えものを購入。落着いた伝統の茶席菓子。盆や施餓鬼や暮れ正月については、多くの檀家衆との重なりに配慮して自由に品選びするが、春秋の彼岸だけは、社会通念を優先する。
 わが町へ帰って、花長さんで墓前の花を選んでもらう。今日はおかみさんと息子さんで店を回していた。いちばん小さな花束を一対。片方には父の好きだった赤を入れてもらい、もう片方には母が好きだった濃紫を入れてもらう。
 池袋からほどなくなのに、古くからの商店街が残るレトロな住宅街というので、わが町を撮影散歩したユーチューブ動画を数十本眺めてみた。駅前に店を構える、肉蕎麦が評判の立食い蕎麦「南天」さんは、まずほとんどの動画で採りあげられる。一軒おいた隣の花長さんが採りあげられるのを観たことがない。
 昭和三十年前後から、ここに店がある。南天さんより、はるかにはるかに長い。

 境内は予想どおり、花盛りだった。御府内巡礼八十八ヶ所のうち第七十六番札所、金剛院大師堂の前の柴木蓮、ただ今満開。しだれ梅の花は完全に了り、勢いのよい嫩葉となっている。
 庫裡へご挨拶。参拝人の多い季節だ。引戸を開けると、若住職さまがすでに着座しておられ恐縮至極。お供えをお願いする。線香をお下げいただきながら、諸物価急騰のおり、線香代が変らぬのはご迷惑でしょう、というような、じつにもって仕様もない世間噺をする。

 独り彼岸詣り。古来風景と近代建築、これも伝統に写りこんだ現代か。外国人観光客さんがしばしば動画アップなさる東京景色に似る。昨月立てたばかりの、母十七回忌のお塔婆が真新しい。
 墓を済ませ、水桶をお返しして、さてご本堂、大師堂、無縁仏観音、六地蔵、大師銅像のミニ四国など、一連のお詣り。ご本堂も大師堂も、ご開帳中だ。焼香台も用意され、ご本尊を直に拝見できるようになってある。
 ご婦人二人連れが、ご本堂前の石段を登って堂内を覗いても構わぬものかどうかと、躊躇される気配だった。ふだんお詣りなさらぬ新住民だろうか。それとも遠来の散歩者か。
 「どうぞご焼香なさっては? ふだんはご開帳されてませんよ、せっかくですから」
 大師堂へと歩んでから振返ると、ご婦人二人は本堂で焼香していた。

 朱塗り山門を出て、不動堂へ。わが闘いの神様と、勝手に決めてある。今年もブログを書きますのでよろしく、とお頼みしておく。観音像と道祖神お役目の石地蔵に水をかけて、参詣を了える。
 「おかげさまで、済みました」
 花長さんの店内へひと声かけて、南天さんの店長には右手を挙げて眼で挨拶。やれやれ、ロッテリアで一服だ。