一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ロートレック



 好きな西洋近代画家はと問われれば、ロートレックだ。ゴッホでもルノワールでもない。

 トゥールーズ一帯を領地とする領主の息子だった。貴族の家柄である。幼少期に落馬するなど二度の大怪我で脊椎損傷し、下半身の成長が止った。躰の三分の二が上半身という矮人である。貴族邸の跡取り美丈夫の可能性が塞がって、父親はさぞ落胆したことだろう。
 パリへ出て、遊興の巷に身をひそめた。酒に溺れた。当時大盛況だったキャバレー「ムーランルージュ」に入り浸った。相手になってくれた女性といえば、踊子や歌手それに娼婦たちだった。細やかな思いやりから好かれはしたが、恋愛だの同棲だのに発展すべくもなかった。庶民には縁遠い地方貴族の御曹司にして、異様な肉体の持主である。

 たとえばドガ描く踊子像は、当代最新風俗の先端に身を置く女性たちの、色であり形であり肢体である。ポーズであり動きである。「踊子」一般だ。対してロートレックが描いたのは、踊子○○ちゃん、歌手○○嬢、酔漢○○氏、ダンスの名人○○君たちの似顔絵だ。ほかの踊子や酔漢とは似ても似つかない。
 個別であるほど普遍に通じ、刹那的であるほど永遠を暗示しうるという象徴論は、まさに確立途上にあって、まだ一般に広く理解されてはいなかった時代だ。むろん古代の芸術家たちだって、理論ではなく眼法と技術とによって知ってはいたけれども。
 またロートレックは絵画から、今日云うところのイラストを分派させた画家だ。画集を披いてみたことのない人でも、彼のポスターに描かれた人物ポーズには観憶えがあるにちがいない。自覚的に商業美術を産み出した最初の画家だったかもしれない。

 父親はむろん、息子の前例なき才能など認めなかった。金の苦労はさせなかったが、評価はしていなかった。『赤い風車(ムーランルージュ)』というロートレックを主人公にした伝記映画があったが、ラストシーンで、ロートレックの棺を前にして父親はつぶやく。
 「わしはお前を理解してなかったのかもしれんな……」
 息子の死を悼む声は多く、画業の世評も高く、なん点かがサロンに買上げられ、ルーブルに入るという。だが父はまだ、息子の画の意味合いを理解できないでいた。
 家系から爪はじきにされた不出来息子の評価など、父親にできるはずもないのだ。

 式場隆三郎ロートレック(生涯と藝術)』
 ピエール・ラ・ミュール『ムーラン・ルージュ ロートレックの生涯』
 アンドレフェルミジエ『ロートレック その作品と生涯』
 アンリ・ペリュショ『ロートレックの生涯』
 吉田秀和トゥールーズロートレック
 想い出深き本と、いちおう買っておいた本とが混じるが、以上五冊を、古書肆に出す。画集類のみを残す。