一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

新庁舎



 中野区では、五月七日からすべての窓口サービスが新庁舎へ移転した。一か月が経った。眼を惹く建物だ。中野区議会機能と東京都庁機能の一部とが、共存する建物らしい。。

 八時半から受付け開始というので、七時には家を出た。久しぶりの国際興業バスだ。トキワ荘跡地を活用したマンガミュージアムの近くを通る。哲学堂公園を縁どるように走る。新井薬師駅の脇で踏切りを渡って、中野駅を目指す。西東京市の大学へ顔出ししていた時分は三鷹駅を利用することも多かったから、この路線にはお世話になった。
 思いのほか早く着き、庁舎は開館されてない。庁舎脇の広場を歩き、公衆トイレで用を足してみたり、雑木林風の植込みの一画を歩いてみたりして、時間をつぶす。樹木の幹には樹種を明記した札が提げられていて、退屈しない。

 会館と同時に入場し、一階ロビー隅の全館案内図の前に立つ。目的の部署を探すが、視あたらない。あまりに需要の少ない窓口のために、別館か離れにあるのだろうか。眼を皿のようにして視なおすと、とある囲みの枠外に、付属の注釈のように記載されていた。四階の隅っこにあるらしい。
 登庁する職員さんや出入り業者さんだろうか、エレベーターホールには定連や顔見知りのなごやかさが漂っていた。エスカレーターで昇ることにする。三階までしか行かない。あとは階段を昇れということだった。
 四階へ昇ってすぐの処に発券機があって、女性職員さんが立っている。
 「そちらでお待ちください。八時半になりましたら、整理券を順次お出ししますので」
 二人掛けのソファベンチが十脚ほど並んだ一画に腰を降ろした。最前列には、カートに掴まることでかろうじて身を支えている小柄な老婦人がひとり腰掛け、私が二人目だったので、離れた空席に腰掛けた。およそ十分ほど待つあいだに、単独の老人二人、それに大声で喋り合う二人連れの老人がひと組、てんでんばらばらの位置に腰掛けた。

 「お待たせしました。整理券をお配りいたします」
 二人組がまっ先に席を立って、女性職員のもとへ。
 「お母さん、一番お早かったでしょう。どうぞお先へ」
 ありがとう、ありがとうと呟きながら、老婦人はのろのろとカートを押した。私も整理券を受取った。003 と大きく印字され、その下に「老人支援相談」とやや小さく印字されてあった。
 六番目くらいまで発券されて、人が途切れたのを視計らって、
 「あのぅ、私は交通事故相談窓口へ伺ったのですが……」
 それならそうと、さっさと云いなさいよ、という顔をされてしまった。だってあなた、訊かなかったじゃありませんか。いきなり、ベンチで待てとおっしゃったきりで。
 「交通事故相談の部屋は…っと。ああ、この廊下の先です」
 どうやら四階は、老人福祉関連の窓口が集中したフロアだったらしい。ひと眼で私も、そうした用向きの来庁者と視定められたらしい。そして交通事故相談窓口には行列もなく、整理券も必要ないらしかった。


 得がたい知恵をいくつか授けていただいて、さて新庁舎を出てみれば、まだ午前九時半を回ったばかりだ。せっかくの機会だから、ここは中野を散歩するべきだろう。だいいち新庁舎周辺から、いくつかの大学の分散号館が建つあたり一帯は、警察大学校だったろうに。留置場なんぞもあったんだっけか。いや、それは記憶の混濁か。
 中野までやって来た記念に、サンプラザを裏から撮っておく。

 ブロードウェイ通りを歩く。名曲喫茶「クラシック」はこの路地だったか。閉店してから、もうずいぶん経った。とある横町を折れる。ひところ通い詰めた焼鳥「もも屋」は健在だった。ただし周りにこんなガールズバーはなかったはずだが。
 ブロードウェイ会館へ入って、三階への直通エスカレーターに乗る。まずは階段で四階へ。上から出発して、散策しながら降りて来るのが、このビルを歩くコツだ。ただしこの時間から開店している店など一軒もないのは、承知している。灯のほとんどない暗ぐらしたシャッター通路を、看板だのシャッター画を眺めながら歩いた。午後から、いや三時過ぎから、いや商売によっては五時開店の店すらある。
 「変や」は健在だった。「まんだらけ」は店舗が増えた。一階から四階までに三十店舗近くあるのではないか。その他、いずれ劣らぬ個性的な(つまりマニアックな)小店が軒を連ねる。漫画・アニメ・ゲームにフィギュアやプラモデルやコレクションカードは当り前。ポスター類からアイドルグッズ、古銭に記念切手、石小物や革小物、ミリタリールックに創作ティーシャツに変装道具、占い用品に変てこ時計と眼鏡、まだまだある。オタクの聖地ともサブカルの神保町とも称ばれる、知る人ぞ知る各店だ。いや、マニア以外からは見向きもされぬ名店揃いである。
 私が心惹かれる店など、ほんの数軒しかない。けれども、歩いていると愉しい。私だって稲尾和久カードや豊田泰光カードのコレクションを誇ったし、ベイゴマの名品を負けて取られようものなら、持主が替ったとの情報があれば、お尋ね者を追うようにどこまでもリベンジに追いかけた。マニアの気持は解る。そして現在の私がまったく理解及ばぬ様相で、それぞれのマニアが血道を揚げていることが、なんだか嬉しい。


 帰りもバスで、行った道を還ってきた。銀行 ATM で大金を引出す。セブンイレブンにて、固定資産税・都市計画税を払い込む。私ごときの暮しにあっては、一年でもっとも高額の支払いである。無駄だから、こんな暮しはやめればいいようなもんだが、都内で部屋住いすれば、年間家賃はこれ以上となろうから、動くに動けない。
 郵便局にて、会員の一人として末席を汚している文学会の会費を振替送金する。そこで思い出した。手帳に挟んだままいつも忘れてしまう、お年玉当選の年賀はがきを賞品に換える。切手シートがわずか二枚。そりゃそうだ。年賀状のお付合いも、社会人だった時分の五分の一ほどに減っている。