
いつか使うかもしれぬブロックや、いつか地中に還すかも知れぬ枯板など、ガラクタをなんとなく積上げてある一画がある。春に草むしりしたはずなのに、小さな草ぐさがいち早く芽を伸ばしてきている。カタバミの花盛りだ。
今日は佳き日かもしれない。
コインランドリーから戻って一服していると、電話が鳴った。詐欺被害防止のために、留守録設定にしておけと目白警察署から忠告されてはいるものの、眼の前で鳴られると、どうしても出てしまう。
「こちら○○駅前交番ですが、キダクニオさんをご存じですか?」
とうとう俺にも来たかと、咄嗟に不吉な予感が走った。○○は隣駅である。
「そういう名の旧友は、たしかにおりますが、静岡県の伊豆に在住のはずです」
「あなたをお訪ねして道が判らなくなったと、今ここにおいでです」
そういえば先般、一度会いたいとの葉書を受取った。行が大きく湾曲し、文字も不揃いで、一読して健康状態に不安があることが明らかだった。週末には映画を観るためにしばしば上京するので、一度会いたいという。機会はきっと訪れようから、無理は禁物だと返信を投函しておいた。
彼を電話口に出すのは憚りあるような、巡査の口ぶりだった。いよいよ疑わしさが増したが、もうひとつの想像も湧いた。応答に要領を得ぬほど彼が弱っていて、巡査も持て余しているのかもしれない。詳しく事情を訊ねると、なるほど木田君が傍にいるような気もしてくる。
最寄り駅から当方への道順やら目印やらを説明したものの、巡査は私に交番まで赴いて直接に引取って欲しい口ぶりである。隣駅とはいっても、日ごろ乗降の機会はなく、再開発の手が入った現在の地理には暗い。
「○○駅周辺はすっかりきれいになってしまって、さて私が伺えるものやら」
「セイユ―の正面で、南口のエスカレーターを降れば、すぐに見えます」
「じつは今、シャワーを浴びたばかりで、身繕いして伺うと三十分ほどお待たせしてしまいますが」
そそくさと身支度し、空巣狙いの陽動手口かもしれぬと戸締りを点検してから出かけた。ビッグエーに立寄り、ひと口羊羹の袋詰とフルーツゼリーの袋詰とを買い、初めての経験だが有料レジ袋に入れてもらった。
なるほど南口駅前交番はすぐに判った。木田君は交番の隅でパイプ椅子に腰掛けて、機嫌好さそうに若い巡査と談笑していた。私の顔を視て、おおようやく来たかと云いたげな顔つきだ。
二人の巡査のうち、木田君の相手をしてくれていたお若いほうが、私に電話をくださったとのことだ。年上のほうは、交番の前に立って、駅からの降り階段を視張っているふうだったところを視ると、木田君の掴み処なく止めどもない噺に閉口して、私の到着を今や遅しと待ちかねていたのかもしれない。
そんなことには頓着なさそうな木田君は、白いティーシャツの上に黒っぽいジャケットを着込んではいるが、下半身は縞柄の七分丈バーミューダパンツを履いている。素足に浴室か洗濯場で履くようなスポンジの網目サンダル履きだ。その恰好で伊豆からやって来たものだろうか。
年賀状や季節の挨拶状を交換してはきたものの、じっさいに対面するのは三年ぶりだ。持病持ちで長年病院通いを欠かせぬ身の木田君ではあるが、それにしてもこの間にそうとう弱ったことは一目瞭然だった。同じていどに、私も耄碌しているのだろう。疫病禍の自粛により、老人たちがいっせいに老け込んだ、これも一例だろうか。
深ぶかと最敬礼して、木田君をもらい受けた。若い巡査の机に、ビッグエーのレジ袋を置いて、顔は年上の巡査に向けた。
「公務員さんに賄賂はマズイよねえ。百も承知しております。でもひと息入れるお茶のときにほんのひと口。なあにスーパーの駄菓子ですから、どうかお目こぼしを」
両巡査とも気持好い笑顔で応じてくださったので、助かった。
右足を踏み出すが、左足は右足の位置までしか出せない。半歩づつ摺り足で進む木田君の歩速は、商店街の通行人の四分の一だ。杖は所持してないという。彼の左前に立って、私の右肘に掴まってもらった。
あの角を曲ると、昔いく度か読書室として使わせてもらった喫茶店があったはずと行ってみると、影も形もない。あたりにチェーン店のカフェくらいはあろうかと歩いてみたが、レストランや焼鳥屋やラーメン店ばかりが目立って、客単価も回転率も低い店は視当らなかった。
このまま商店街に深入りしてしまうと、木田君の足で駅まで戻って来るのが大骨折りになりそうだ。路地を入った処の飲料自販機の脇で、缶珈琲を片手に小一時間も立噺に耽るしかなかった。といっても、ほとんどは木田君の独白で、私は合の手を入れるていどだ。
学生時代の恩師の面影、若き日の文学について、教員時代の苦労噺、離婚した元夫人の噂、娘さんの現在、郷里の兄や妹の消息、そして持病治療の現在。私なんぞには想像も及ばぬほどの、苦労を強いられてきた半生だ。だがひとつの話題を深掘りして長く語ることは、もはやできない。記憶の蘇るままに、あれこれを順不同に語って倦まない。ほとんどは私がすでに知っている話題だから、合の手を入れることも共感することも容易だ。俺にもこういうとこ、あるよなあと思いつつ、彼の乱雑な絵巻物について行った。
さて戻り途、わずか百メートルほどの駅までの道のりを、木田君は歩けなかった。マツモトキヨシの前の花壇を縁取る石に腰を降して、また二十分ほど語った。脚が痛いとか重いとかではなく、腰が痛むのだという。湿布なしには暮せぬそうだ。
夕暮れ時となり、商店街の人通りが急速に増えた。そのなかを、一方が他方の肘に掴まった二人の老人が、人の流れの四分の一ほどの速度で、駅に辿り着こうと歩いてゆく。目的があって先を急ぐ通行人がたの眼からは、どんなふうに見えたものだろうか。
私はさようなことには鈍感だ。看病と介護の十年間という年月をもったおかげで、周囲に迷惑をおかけする面目なさにも、また周囲から蔑まれる屈辱感にも馴れっこで、平然としていられる。木田君も長年にわたる持病との闘いを経て、鈍感でいられるようだった。
ようやく駅に辿り着いた。「おお、もう駅じゃないか」と、木田君の顔には、シテヤッタリのような笑みが浮んだ。「イチニのサンッ」と私が声を掛けながら腕を曳いてやり、高架駅への昇りエスカレーターに無事に乗れたときには、「こりゃあイイ、じつにイイ」と、木田君は無邪気にご満悦の笑顔を見せた。
「やっぱり会いに来て、本当に好かった」
「おいおい、無茶は禁物だぜ。こっちだって健康不安を抱えて、けっこうギリギリで生きてるんだ。お手柔らかに頼むぜ」
今朝起きぬけに、まずもってパソコンを立ちあげたら、ぞろ目が並ぶ日だった。佳き日となるのではと、独り決めにした。実際はどうだったのだろうか。佳き日だったのだろうか、災難の日だったのだろうか。佳き日だったんだろう、きっと。