一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

解るよなあ



 松が取れたら、いっせいにダンボール。因果関係はあるまいけれど。

 およそ一日おきのペースで、コンビニへ煙草を買いに行く。昨年のある時期までは、拙宅筋向うといってもよい十字路角にファミリーマートがあって、すこぶる便利だった。繁盛店だったのに、なぜか閉店した。以後は、私の歩幅で四百歩から五百歩といった距離のセブンイレブンまで行く。遠くなった不便になったと申したところで、四百五百歩。つい眼と鼻の距離だ。
 その途上に、わが町にあっては豪壮の部類に入る四階五階建てていどのマンションが三棟ある。本日は三棟いずれの入口周辺もが、ダンポールを主とする紙ゴミの山である。さような分別ゴミの回収日なのだから不思議はないわけだが、日ごろこれほどの量を眼にすることはない。ほんの数十メートル先のビッグエーやセブンイレブンやマツキヨであれば、商売がら珍しいことでもあるまい。が、一階にすら店舗も事務所も入らぬ、純然たる住宅専用マンションである。おそらくは今日が、一年でもっとも廃棄ダンボールの量が多い日である。

 どちらさまもお気持では、暮れの年内最終回収日までには大掃除を済ませて、きれいさっぱりゴミ出しなさりたかったことだろう。しかしできなかったのだろう。毎日私鉄で池袋へ出て、JR. か地下鉄に乗換えてお仕事に向われるかたたちだろう。ご亭主ばかりか奥さんがたもお仕事に出られているかもしれない。忘年会だ仕事納めの挨拶回りだと、歳末ぎりぎりまでお忙しかったかもしれない。部活だクリスマスだと、最後まで騒いで歩くお子たちもあるかもしれない。
 溜っていたダンボールを家中から集め束ねて紐掛けを了えたころには、もう紅白歌合戦だったのかもしれない。新年から使おうと強硬な交渉をして、ようやっと年末に届いたパソコンやミシンや家電を開封できたときには、やはり紅白歌合戦だったのかもしれない。初詣に着て出ようとご夫妻であつらえた厚手の外套が届いたのかもしれない。新年会には後輩たちを喜ばせようと、地方の蔵元から取寄せた地酒が届いたのかもしれない。それやこれや、最終回収日になど間に合うはずもないダンボールゴミたちが、束ねられたまま玄関三和土や上り框で年を越し、今朝やっと往来へ出てきたにちがいない。

 解るよなあ。解りますとも。お手伝いさんも秘書も抱えられぬ身が娑婆で懸命に働いてたら、暮しは暦どおりになんぞ行きませんとも。もっとも私ごときは、世間から脱落した身となりましたのに、暇はあってもそれ以上のものぐさから、昨年のダンボールをまだ束ね了えてませんけれども。
 ともあれ今日は、煙草と牛乳のほかにはたいして買物もなかったのだが、各マンションの前で思わぬ時間を立ち停まって過してしまった。往来の対岸からゴミにレンズを向ける年寄りを、怪訝な表情で眺め過ぎる歩行者もあれば、迷惑そうに徐行してくださった自転車もあった。

 こんなことして、こんなブログばかり書いているからだろう。年賀状や迎春電話やメールなどで、いく人さまかからお叱りというほどではないものの、お励ましと申すには否定的色合いの濃いお言葉を頂戴してしまった。曰く、過剰な老人振りが鼻に付くぜ。また曰く、取るに足らぬチッセエことばっかり書いてねえで、たまにはまとまった作家論でも書いたらどうだ。さらに曰く、台湾有事に日本有事、増税に経済危機、異常気象に大地震、内外遠近に焦眉の急たるべき話題は山積してあるのに、なんたる腑抜けたていたらくであるか。それぞれに、いちいちごもっとも至極だ。

 折目節目の「口上」で毎回異口同音に申しあげてきた。この場では天下国家を語らない。人さまのお役に立とうとはしない。ただ己の老残を凝視する日記である。
 謙遜なんぞしちゃいない。卑下するつもりもない。自分を記録するとはいかなる姿勢に構えることか。『明月記』『方丈記』『徒然草』それぞれの手口くらい、私だって知っている。なにを視て書き、書かずに黙るのか。永井荷風断腸亭日乗』、徳川夢声夢声戦争日記』、伊藤整『太平洋戦争日記』くらいはペラペラッと眺めて、ちゃっかり参考にさせてもらってる。それら賢人先哲とは異なる書きかたをと、叶わぬまでも考えてはいる。
 頂戴したお叱りには、こういうのもあった。曰く、かつては文芸学科の教員だったこともあるのだから、今さら傑作・力作は無理としても、せめて書く姿勢を正すことが、かつての教え子さんがたに対する責任ではないのか、と。
 だからぁ、今やってるじゃねえか。