一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

他力贅沢



  ありがたい進物に与る季節となった。わが暮しにあっての、贅沢月間に入る。

 文筆家にして編集デザイナーのながしろさんと、いちおうは称んでおくが、長いお付合いながらこの人の本業については、よく解らない。ウェブ関連のナントカというような、伺ったところで私にはとうてい理解できぬお仕事も、たくさん手掛けておられるのだろう。聴いたところでどうせ解らないことを、詳しくは伺わない。とにかく働き盛り、子育て盛りの、お若い友人である。
 二十年以上も前にわがゼミ学生だったというご縁を多とされて、今日まで好くしていただいてきた。今はわがパソコン指導員のお一人でもある。

 年間をとおして月並なわが台所を当日記でお眼にされ、節季のご挨拶として珍しくも美味なるものを視つくろっては、ご恵贈くださる。本日は魚の粕漬と西京漬である。むろん大好物だ。しかも純米大吟醸の粕にこだわった、メイカー自慢の逸品らしい。私からはけっして手を出すことのない贅沢品である。
 さて、いかなる順番でいただくか。焼きかたを思い出さねば。塩鮭塩鯖を焼くのとはわけが違う。粕なり西京味噌なりが、身を甘く柔らかくしてくれてあるから、カラカラに焼くことだけは避けねばならぬ。味も風味も台無しとなる。生焼けにするのだが、その加減がさてどうだったか、うまく思い出せない。
 付合せに谷中があれば大葉があればというところだが、わざわざ買ってくる気もないから、チューブのおろし生姜を用いる。大根おろしにシソ振りかけを混ぜ込んでみようか。先日甘酢に漬けこんだレモンスライスを添えてみるか。日ごろはけっしてすることのない、心愉しき思案である。


 郷里の従兄からは、日本海の珍味詰合せだ。私の好みをご承知くださっていて、なんとも絶妙なお品選びをしてくださる。
 短期消費組と長期賞味組との、ふた手に分れる。「鱈の親子漬」は鱈の身と鱈子とに、昆布と生姜とを混ぜ込んだ甘酢漬だ。きわめて口当りよく食べやすい酢加減で、開封してしまえば毎食いただくから、醤油皿の兄貴分といった小型小鉢に盛っても、まず一週間ほどで完食。「塩漬もずく」は強烈な塩だから、念入りに塩出ししてから三杯酢となる。一袋で大盛り三回分、三日に一度の酢の物として、十日以内には完食する。

 「魚卵塩辛」は激烈にしょっぱい。が、美味い。耳かき一杯分づつ箸の先に着けて舐める肴としては、酒盗めふんと肩を並べる海の珍味である。パスタソースに混ぜて磯の香パスタを愉しむ人も多いと聴いた。私に云わせてもらえば、さような大量消費はもったいない。白飯や粥に少量づつなすり着けて、口へ運ぶのが最高である。むろん冷酒ひと口に添えて箸の先というのも、それに匹敵する。数か月は愉しめる。
 「みそ漬」は大根・長瓜・茄子・生姜の四品詰め。ひと品を細かく刻んでは蓋物に収め、梅干やらっきょうなどとともに、香の物皿にふた切れづつ添える。食べきったらふた品めを刻む。昨年末に同じ従兄から頂戴した詰合せの、最後のひと品である大根を今いただいているところだ。つまりこの詰合せは、向う半年間も愉しめるということだ。

 「男の子はどこへでも行って、遊んでおいで」と云う母だった。家事のほかに父の仕事の補助もしていたから、忙しかったのだ。私は私で、原っぱでの野球(今のソフトボール)かベイゴマの決闘が生き甲斐の中心で、日曜日に家にいるつもりなんぞ、これっぽっちもなかった。が、運悪く雨の日曜日もある。その昼食どき。
 「お前がいると、ほんとにもう。アタシ独りだったら、ご飯なんか味噌漬の尻尾でも切って済ませちまうんだのに、あーメンドクサッ」
 と云われたものだった。