一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

玉ねぎ天



 ここ四日間ほど、玉ねぎ天を揚げている。

 冬から初春にかけて、常用テキトー飯としておおいに愛食した、玉ねぎだけを具とする力うどん・力そばにも、少々飽きてきた。うんざりとはしていないけれども、親の仇のように餅ばかり食ってもなあ、という気分だ。
 ひところ、野菜でも玉子でも、肉でも魚でも、茸でも海草でも、なんでも衣を着けては揚げていた。それからなん年も経つ。じつに久かたぶりに、そうだ、野菜を揚げてみるかという気が起きた。とはいっても、手始めはやはり玉ねぎだ。手順だのコツだのは忘れてしまった。思い出しながらの進行だ。イケネッを連発しながらの作業である。

 
  
 つねのごとく、小ぶり玉ねぎ二分の一個。老人一食ぶんとして過不足ない。
 皮を剥いてザク切り、あまり揃わぬほうがいい。どうせ揚げかたが下手くそなのだから、カリカリに揚る部分とシンナリ甘味を発揮する部分とが、まだらなほうが無難なのだ。なまじ一片の大きさが揃ってしまって、丸ごと揚げ過ぎだったり手前だったりした日にゃあ眼も当てられない。
 どうせ天つゆにジャボリと浸してしまうのが私流だから、多少の粗密なんぞはむしろあったほうがよろしい。

 さて天つゆが思い出せない。しかも玉ねぎ天わずか一個ぶんだ。スプーンでどれほど、といった微量世界である。
 愛用の調理器具であるレンゲ匙で小鍋に水を一杯。もとはファミマの炒飯に付いてきたものだが、もうなん年も大切なわが計量スプーンとなってきた。そのレンゲで料理酒を六分目。砂糖を専用小匙で七分目。味醂が使えればこんな面倒はなくても済むものをと毎回思うが、採用する気はない。チューブのおろし生姜を一センチ。こんなもんだろう、たぶん。あとは器に張ってから、擂り胡麻を小匙半分ほどだ。

 一昨日は、良かれと思って和風出汁の素をふた振りしてみたら、失敗だった。くどい天つゆになってしまった。味をサッパリさせるための生姜と相殺してしまったのだ。
 火にかけるとアッという間に沸くから、鍋ごと水浸けして冷ましておく。

 粉はレンゲに小山盛り一杯。溶き水の量はその日の気分。あまり掻回さないのが上策。掻混ぜ過ぎるとグルテンが出過ぎると、いつだったか聴いた憶えがある。
 油の調子を看るために、まずウインナを放り込んでみる。玉子の付合せだが、ウインナだったら生だろうが多少焦げようが、大過ない。
 で、玉ねぎ投入。本日は成形に失敗。昨日撮影しておけばよかったとの想いが、一瞬頭をよぎるが、ここは見栄を張ったりする場所ではない。

 冷めた天つゆを、少し深みのある皿に張って、擂り胡麻を投じる。油切りできた玉ねぎ天を浸ける。ジューッ、と音がしないので、自分で発声する。
 若い時分は、こういう食いかたが嫌いだった。歯応えサクサクの天ぷらの端を、少々天つゆに浸して食べたものだった。が、歯応えを愉しもうにも歯がなくなってしまった。応ずるに兵なしである。
 天ぷら定食よりも天丼を食うようになった。ローストンカツよりカツ煮を所望するようになってしまった。情なしとも思うが、老人の胃腸にはこれがよろしいのだとの負け惜しみも用意してある。


 かくして日に一度の、わが命をつなぐ粥飯定食コースの完成だ。
 一度思い立つと、いちおうの納得がゆくか飽きがくるかするまで、同じものを作り続けるという悪癖がある。長く続くはずもないマイブームに過ぎないが、目下は玉ねぎを揚げている。プチブームが過ぎれば、どうせまた忘れてしまうにちがいない。