一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

あふせ

 立川談志さんが、こんなふうにおしゃったことがある。
 ――埼玉県熊谷(くまがや)って云うでしょう。あれ、クマガイじゃないのかね。

 たしかに上品上生(じょうぼんじょうしょう)の往生を祈願したのはクマガイ直実だし、その史実から名付けられたラン科の山草はクマガイ草に違いない。拙宅のご近所さんで、生前のお住まいの跡地が今は記念美術館となっている近代洋画の巨匠のお名は、クマガイ守一画伯である。なぜ、こんなことが起きるのか。

 まだ少しは世間的関心があったころだが、「週刊ポスト」のセンターページに「弐十手物語」という長期連載劇画があった。タイトルページにはご丁寧にニジッテモノガタリと、ルビが振ってあった。
 あるとき酒場のカウンターで、お若いカップルが「あれニジュッテだよね」「変よね」と話していたから、普通なら大きなお世話は控えるはずが、当方も相当酩酊していたか、「ニジッテが正しいっ」と呟いてしまった。当然ながら、胡散臭いものを視る眼で睨まれた。後悔しきり。
 仮名で書けば、十は「じふ」である。十手は「じふて」である。それが詰って促音化した場合は、「じって」となるほかはあるまい。ただし長谷川平蔵銭形平次が(いたとして)、それをどう発音したかは判らないが、少なくともジュッテではなかったろう。

 ――うちの名はナホミやで、ナオミやないねんで。間違わんといて。
 そうおっしゃる美人漫才師さんがあった。あのね、お名前の漢字に仮名を振ってナホミと表記しておいて、それを日本人は慣用的にナオミと発音してきたのです。
 ――さあ川澄ナホミ、ドリブルで持込んでシュ~~ト! 
 スポーツ中継のアナウンサーまでが……。きっと上から、そう云わされているのだろう。
 仮名はもとの漢字に忠実に表記せざるをえない。けれども発音は、舌と唇の事情で、都合よく変化してゆく。
 ベビーフェイスで聞える女性雀士・小笠原奈央さんは、自己紹介のさいに、さも発音しにくそうに「オガサハラです」と名乗られる。お気の毒に。あのね、あなたの姓の漢字に忠実に、オガサハラと振り仮名して、日本人はそれを、オガサワラと発音してきたのです。弓道小笠原流射法や行儀作法の小笠原流礼法と、同じ苗字じゃありませんか。同じ発音をなさってよろしいのですよ。

 齢若い友人に、藤原君という小説書きがあるが、彼が履歴書に氏名を記入するさい、振り仮名をフジハラとしようがフジワラとしようが、私や仲間たちにとって、彼は「ふじわら」君である。俊成・定家親子と同じ家柄である。

 歴史的仮名遣いは、語源に忠実だ。発音には忠実ではない。書き残された文字と異なる発音をしていた例は、無数にあったのだろう。ところが敗戦後の国語改革で、発音に忠実な仮名遣いに統一しようとした。国民が均一な日本語を喋って書けるようにとは、為政者による一応の弁で、方言撲滅運動と絡めてあったところをみると、権威主義願望の小役人と、それにおもねる御用学者の考えたことだ。
 お達しに従っているうちに、書かれたとおりに発音しなければならぬとの、逆転現象的な脅迫感が生じてきた。無理はいけない。先祖が選択してきた舌と唇の都合を、もっと信頼したらいゝ。

 だってさ、逢瀬=デートは、「おうせ」でしょうに。仮名表記どおりに発音するとなれば、「あふせ」ですぜ。