一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ズレる


 これも拙宅の風物誌。年に一度のぜいたくだ。

 今年も元村君が、ご郷里北海道の名産の巨大メロンをお贈りくださった。昨年も一昨年も、この時期に大ぶりメロンの写真が揚がっているはずだ。
 札幌勤務だった三十代後半の元村君が、一大決心をして勇躍上京して写真学科に在籍なさったことはすでに書いた。現在は医療従事者として東京の病院に勤務し、この疫病禍にあっては途方もない苛酷勤務の日々だったことも書いた。

 またメロンの産地夕張に事寄せて、かつて夕張高校のハイジャンプの選手で北海道大会にも出場した経験のある長身美青年についても書いた。新宿の老舗から独立したママさんが、吉祥寺で初めてのゲイバーを開店させたとき、まだ鼻筋を立てる化粧も知らぬズブシロの新人として、彼女は入店してきた。私は一時期たいへん贔屓にした。磨かれればとんでもなく光る子だと、心くすぐられたのである。
 呑込みの早い彼女にはすぐに客が付き、人気者にはなったが、あい変らず化粧は拙かった。同伴出勤したさいに食事しながら、胸の裡を訊いてみたところ、接客よりは踊りに興味があるらしい。将来はホステスとして成功して飲食業経営者になる気などなく、ショウビジネスの世界に進みたいとのことだった。
 踊るなら、吉祥寺にいたんじゃ駄目だ。接客なら新宿だが、ショウとなれば一足跳びに六本木だ。当時六本木の巨大ゲイクラブ「ピープル」では、規模も華やかさも最大級のショウが月替りで披露され、他店でも毎月話題にされるほどだった。

 彼女を吉祥寺から六本木へ住替えさせるには、さてどうしたらいいか。むろん私ごときの力に余ることであって、しかるべきかたに筋を通してご忠告をいただき、しかるべきかたを説得して了解をいただき、いささか骨を折った。案ずるより産むが肝心で、たしか半年ほどで実現した。吉祥寺での彼女の源氏名と同名の大姐御が「ピープル」にはすでにいたので、彼女は名を変えて、六本木にて再デビューした。
 「ピープル」の一員となってしまえば、私ごとき泡沫客とは縁が切れる。加えてその店には、新宿時代から短くない馴染のゲイボーイさんもあったから、夕張の彼女はショウで姿を観る程度だった。たまにわが馴染が気を利かせて、彼女をヘルプで呼んでくれた。
 しかしそんなことどもも、元村君のメロンからの芋蔓で、かつて書いた気がする。

 映画『幸せの黄色いハンカチ』で、網走から出所した健さんが妻にハガキを投函してはみたものの、「あんな好い女が、俺を待ってくれてるはずがないんだ」と夕張が近づくにつれて尻込みするようになる。
 「勇さん、行こう、夕張」と桃井かおりさんが励ます。「それにもし、もしもよ。奥さんが今も待ってくれているかも知んないっしょ。そんなことにでもなったら……」
 桃井さんはその台詞を、頭アクセントの「ゆうばり」と発音していた。他の出演者も同様だ。元村君をはじめとして、北海道出身のわが知友たちも、ゆうばりと発音していたように記憶する。
 しかしである。子ども時分のニュースフィルムでは、石炭好況だの不幸な事故だのを報じて、「ゆうばり炭鉱」と平滑発音されていたような記憶がある。それどころか、Y や R に比べて B という破裂音が力強い点と、ウウアイという母音行列のなかで「ア」がもっとも伝達力において力強いという二点のために、平滑ゆうばりは発声者心理においては、ほんのかすかではあるが「ゆうばり」に近くすらあったのではなかろうか。

 ゆうばりで収穫されたゆうばりメロンかゆうばりメロン、なのではあるまいか。
 日本語音声学上の問題としては、稀有な例でもない。独立単語として発声される場合と、他語に結びついて複合名詞化したり形容詞化したりする場合とでは、アクセントがズレる用例はいくらでもある。がるの林檎農園ではつがる弁が飛び交っていることだろう。
 風物誌よろしく元村君から毎年巨大な夕張メロンを頂戴していると、連想の種子も底を突き、しょうもない話題ばかりが思い出される。