一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

柄合せ

両口屋是清「ささらがた」

 端午の節句を目途とした、季節限定の菓子だ。
 漢字では「細形(ささらがた)」だろうか。布地の細かい織柄のことである。江戸小紋などがこれにあたろうか。それを菓子の商品名に援用するのは、職人の行届いた工夫と手わざ、といった主張だろう。

 「簓」の形かと考えてもみた。ササラを漢字で「簓」と書くとは、今回初めて知った。近世の、とはいっても昭和初期くらいまではあったのではないだろうか、竹製の打楽器である。リレーのバトンほどの竹筒の、片方を細かく裂いてぐざぐざにし、もう片方は柄にする。片手にササラを持ち、反対の手に持った拍子木かもう一個のササラに打ちつければ、あるいは掌でも腕でもを叩けば、シャワシャワと響きの好い音がする。打撃の強弱緩急のみならず、擦り合せるなどの技術もあって、至芸者ともなればなかなかの表現力を発揮するそうだ。
 説教節や祭文語りの大道芸人らが、巧みに使った楽器らしい。わが悪ガキ時代であれば、紙芝居屋の小父さんのだれか一人くらいはさような鳴物を持っていてもよさそうなもんだったが、残念ながらこの眼にも耳にもした記憶がない。
 茶道具の茶筅を手にすると、不謹慎ながらもう片方の掌に打ち当てて音を聴いてみたい気が起きるが、まさしくササラ用法である。

 両口屋是清の「ささらがた」が、「簓型」でなく「細形」であると勝手に一人決めして、さてその内容だが。歯応え異なる煉物(ねりもの:餡や羊かん)同士を合せたり、煉物を焼物で挟んだりして板状としたものを、食べやすい大きさにカットして、断面を見せたもので、まさに茶席に話題を提供するにもってこいの工夫である。五様の工夫をワンセットとしてある。

 お向うのマンションにさきごろ引越して来られた外国人さんが、愛用のバイクの適当な駐車場がないとのことで、拙宅敷地内の空きスペースをお貸ししている。むろん駐車料金をいただく気はない。つましくしてはいても、不動産収入を宛にする気はない。
 それでは申しわけないとでも思われたのだろうか、門扉の把手にレジ袋が提げられてあった。手紙が同封されてあって、フランスからの到来物だそうだ。「イワシ=Sardins」と「いちじく と くるみ のジンジャーブレッド」だとある。
 「ジ」が「ヅ」になっていない、「ン」が「ソ」になっていない、感心させられる仮名手紙で、「駐車場」だけが漢字で表記されてある。マドムワゼルなのだろうが「お嬢さん」と訳してはちょいと失礼にあたる、いかにも仕事のできそうなフランス婦人だ。日本でのお仕事その他、なにひとつ伺ってはいない。お名前も、この肉筆手紙の署名によって、初めて知った。

 フランスやイタリーの、つまり地中海料理の動画を観ていると、オードブルにもサラダにも、ピザやパスタにも登場する「サーディン」ってヤツか。初めて手にするが、よしっ、西洋のイワシの顔を視てみようじゃないか。楽しみである。
 古都トゥールのマルシェ(朝市)で、お好み焼と味噌醤油のテント商売を成功させている KENKEN さんの配信動画で、スタッフ一同が間食カフェタイムのときに、薄くスライスしたあれこれ具入りのパンにクリームチーズだのレーズンだのを乗せて、気軽に口へ放り込んでいらっしゃる、アレか。
 すぐさま開封して味見してみた。なるほど、十分に味付けしてある。これなら添えものは不要だ。立食パーティーの軽いつまみにもなる。面白い味だ。

 さて今回はお気持をありがたく頂戴するとして、わが駐車場は無料であり、今後はお心遣いには及ばないということは、重ねてお伝えしておかねばならない。返信に添えて、イワシとパンのお返しをなにか……と考えて、両口屋是清へ飛込んだわけである。
 「ささらがた」の小分けパッケージの画柄は、端午の節句らしく桃太郎や金太郎や鎧兜の少年や、鯉幟や日の丸や、縁起ものがてんこ盛りなのだが、そこにも工夫がある。
 五個セットをあるべき順に並べると、鯉幟やら空やら雲やらの画柄がつながってある。小分け各パッケージにあって、表面から側面や裏面へとつながっているのはもちろんのことだ。着物を仕立てるさいに、柄合せという裁ちかたを工夫するのと同じ感覚である。これならば、外国人さんへの返礼品にも、申しぶんなかろう。マドムワゼルに端午の節句……その点はご愛敬とさせていただく。