一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

思いのほか難敵

 

 今年二度めの手入れが必要だ。

 往来に面した、建屋南がわである。間に合せの金網フェンス越しだから、道行く人の眼から丸見えだ。陽当り良好につき雑草の伸びはことのほか早い。視てくれがよろしくないだけではなく、物騒だ。手入れが行届いていないと、ゴミを放り込んでも差支えない場所と判断する輩があるとみえて、いろいろ放り込まれる。
 チウインガムの銀紙や、煙草や菓子を開封した帯つきのプラフィルムなどの、小物が多い。自販機飲料の空缶やペットボトルは眼に着くから類を呼ぶことにならぬかと、気がかりだ。以前はレジ袋に押しこまれた弁当の殻なども混じった。さすがに近ごろは減った。
 なにはともあれ他所に先駆けて、本年二度めの草むしりを敢行しなければならない。


 この一画には、花梨の樹が立っている。隣で威張っていた桜の地上部が姿を消したせいか、成長力が凄まじい。枝を詰めて小柄にしてやろうと、二階のベランダから道具が届く限りの剪定を試みたのが、およそ五十日前だ。届かぬところは地上から脚立を立ててと計画しながらも、素人には大仕事だから頃合いを計っているうちに、夏となってしまった。ベランダがわと道路がわとは、今も段違いの虎刈り状態だ。
 その状態を解消したいのだが、まずは下草を引っこ抜かねばならない。また場所を空けるために、五十日前の枝葉を始末しなければならない。葉は好い加減に枯れて赤茶色に変色している。これをしごき落して、枝だけを別場所に移して作業すべきだ。この陽気のなかで一時間以上の作業をする気はないが、それでも今日中に下草の引っこ抜きまで行けるだろうと、楽観的な見通しを立てた。

 ところがである。伐り落されて地上に積みあがった枝葉の山の表面は、つまり直射日光が当る部分は赤茶色に完全乾燥しているが、作業進行とともに掘出されてきた部分は、緑葉でこそないものの十分に乾燥したとは申しがたい状態だ。直射日光と物陰とではこれほどまでも差が出るものかと、改めて痛感せざるをえない。こんなことなら、今日までのどこかの日に、山の表面と内がわとを返しておくんだった。後知恵である。


 完全乾燥状態の枝葉と生乾き状態とでは、作業効率が格段に異なる。赤茶色の葉は手で揉めばいとも容易に砕けるし、枝をしごけば塊となって地に散る。生乾きの葉ではそれほどにはゆかない。
 陽気にかんがみて作業制限時間と設定してあった一時間は、またたく間に経ってしまった。撤収だ。なんのことはない、五十日前に伐り落した枝から、葉を刈り取っただけに了ってしまった。あんがい巨きな枯葉山ができた。枝は他所へ移して短く切りそろえてから、どこかに埋める。
 下草むしりにまでは手が着かなかった。花梨の枝降しは、さらにその先だ。