一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

内的動機

 近所に「パティスリー団栗」が開店して、数年経つ。ファミリーマートのはす前にあって、入口から階段を二三段降りた、半地下のような洋菓子店だ。樹木のカラーイラストを焼付けた素通しガラスの窓が、往来に面しているので、ちょっと視おろすように、店内の一部が窺える。
 歩を停めて覗き込むのは、さすがに気が引けるから、歩き過ぎしなにチラッと横眼で、商品ケースを眺めることがある。ショートケーキとチョコレートケーキはいつも、ベークドチーズケーキはたいてい、あるようだ。あとは季節のフルーツを前面に押出したりして、いろいろラインナップに変化があると見える。
 どことなくこだわりを予感させて、云うなればお洒落なケーキ屋さんと、街の洋菓子店の、中間くらいの感じか。

 私はまだ、入店したことがない。理由はふたつ。私なんぞ、場違いではないかしらん。これがひとつ。爺さんがよたよた入っていって、「二つください」でいいのかな。かといって、独居老人にそれ以上の消費力はないし。
 もうひとつの理由は、少々微妙なのだが……。いつ横目でチラ視しても、アップルパイがないことだ。扱っていないらしい。パイがケーキでないことくらい、承知している。注文すれば、対応してくれるのだろうけれども。
 初めてご縁のできる洋菓子屋さんであれば、まずアップルパイをいただきたい。できれば、小型に焼いたアップルパイは、ないかしらん。これは、今度は私のこだわりである。

 ショートケーキでもチョコレートケーキでも、三角にカットされたものでいゝ。フルーツケーキでもロールケーキでも、一人前の厚さにカットされたものでいゝ。だがアップルパイだけは丸ごと、つまりホールで欲しい。たとえ自分では上手に切分けられなくても、すなわち等分でなかったとしても、パイの焼き上り具合を傷めてしまったとしても、ホールの姿から、いただきたい。
 となると、大きなパイでは、消費量の点で持て余す。なーんて云ったところで、全部いただいてしまうのではあるけれども、なにも恨みを晴らすようにアップルパイばかりを、懸命に食べなくたって。
 よって、三回かせいぜい四回に分けて、一人で食べ了えられるくらいの、小型のパイをホールで欲しいわけだ。

 仕事でときどき、台東区谷中へ赴いていたころ、地元のかたから教わった、アップルパイ専門店があった。近所での人気店どころか、遠方から定期的に買いに見えるご定連が数知れぬほどの、たいした評判のお店だという。そんな名店があるとは、この街は極楽かと思ったものだ。
 だが、仕事終りはいつも夜で、当然ながら打上げと称して、中華食堂か酒場へ直行となる。仕事前に買物をして、アップルパイの箱を提げて現場入りするのも、いかがなものか。かといって、仕事が済んでからでは、当然アップルパイ屋さんは店仕舞している。すぐそこにお店はあるのに、間が合わずに、もどかしい思いばかりさせられてきた。
 いつものものぐさで、近いうちにぜひ、などと思っているうちに、コロナ禍となった。

 かく申したからとて、では相当な甘味通でいらっしゃいますか? なんぞと訊ねられるのが、もっとも答えに窮する。イエス・アンド・ノー。甘党ではあっても、大酒飲みである。塩辛や佃煮も、大好物だ。
 にもかかわらず、おかげさまでこの齢まで、糖尿病の危険信号が点ったことは一度もない。ひとえに、父方母方双方のご先祖様からの、遺伝子による僥倖と云うに尽きよう。

 で、コロナ禍を脱したら、私は谷中へ行くつもりなのである。今のところ、ワクチンを接種する気にさせる内的動機は、ほかに見当らない。