陸上競技のオリンピック種目で、これだけは見逃せないと密かに思っているのは、男子十種競技と女子七種競技 だ。二日間にわたって、短距離走・中距離走・ハードル・投てき・跳躍の、男子は十種目、女子は七種目を競い、総合点で順位を決める。
選手個々に得意種目が異なるため、途中経過にあっては得点順位が激しく動く。そして二日目最終種目の男子一五〇〇メートル、女子八〇〇メートルでゴールする選手たちの表情たるや、勝者であれ敗者であれ一様に、苛酷なレースを途中で放棄せずにヤリキッタ感が溢れて、全員が優勝テープを切るかのようだ。
苛酷と云えばこの上なく苛酷だが、スポーツの原点とも云える競技で、優勝者はキング・オブ・アスリート、クイーン・オブ・アスリートと称賛を浴びる。
もうひとつ、とても注目している競技は、カヌー・スラロームだ。信じがたいほど難所の多い激流を、ちょうどアルペンスキーの回転競技のように、カヤックやカナディアンのパドル一本で意地悪な関門を克服しながら、ゴールまで漕ぎくだる競技である。
私が観戦したい競技は、たいていテレビ中継されない。スポーツニュースや総集編でも、ほとんど映し出されない。紙媒体で結果を観てから、映像を探すのに骨を折るのが常だ。好きな競技を、資本に踊らされて選んではならないなどと、臍曲りなことを何年か思っているうちに、こんなふうになってしまった。後悔しきり。
ときに、このブログでは政(まつりごと)にはいっさい触れずを原則としているから、来月からの大会の開催是非について、ここでは申さない。ただ、老人はこんなことを、思い出す。
米ソ冷戦構造の対立激化のなかで、アメリカに与する意思表示を明確にすべく、我が国は一九八〇年モスクワ・オリンピックへの参加を辞退した。選手団を送らなかった。
山下泰裕さんは、柔道選手として絶頂期だった。自信満々の試合ができたはずだった。だが国ぐるみ参加辞退。彼はご自分の水準を維持するために、もうあと四年、精進する道を選んだ。
次のロサンゼルス・オリンピック。失礼ながら、山下泰裕さんは下り坂だった。決勝戦では、怪我した山下さんの足をあえて攻めようとしなかったエジプト選手による美談もあって、山下さんは金メダルを授与された。四年前であれば、いかに過密スケジュールの試合が続いたとて、怪我するような足ではなかったかもしれない。
三屋裕子さんは、日本人離れした跳躍力と運動センスをもつ、上り龍のバレーボール女子選手だった。チームメイトには江上由美さんも中田久美さんもいて、常勝軍団・日立の歴代チームで、もっとも強かったかもしれぬ時期の選手たちだった。だが国ぐるみ参加辞退。彼女たちはもうあと四年、精進する道を選んだ。ロサンゼルス・オリンピックで銅メダルを授与された。だがもし、四年前であったなら。
「たった四年」なんて台詞は、昨日も今日もキツかった、明日もキツいに違いないというギリギリの過しかたをしたことのない、気楽な奴の言いぐさだ。
江上さんは「銅」を花道にいったん引退したが、後に現役復帰をとげた。中田さんは今も鬼と異名をとる傑出した指導者だ。「銅」は彼女らにとって、ヤリキッタ感ではありえなかったのだろうか。
三屋裕子さんは現役選手引退後、企業に属したあと、大学院で研究を重ねて、今は日本バレーボール協会と日本バスケットボール協会の、また国際バスケットボール連盟の、偉いサンだ。
山下泰裕さんは、云うまでもなく、JOCのトップである。
山下さん、三屋さん。あの時、どんなお気持ちでしたか? 今では、どう思っておいでですか? そして、来月の東京オリンピックは、どうすべきでしょうか?