一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ついつい

 駒子以外にもう一人、重要な女性がいる。トンネルを抜ける列車で、偶然島村と同じ車両に乗り合せていた葉子だ。澄んだ眼と、「悲しいほど美しい声」の持主と表現される、こちらは掛値なしの美少女である。
 映画では、岸恵子の駒子に対して、葉子は八千草薫岩下志麻の駒子に対して、葉子は加賀まりこ。まぁ、凄い顔ぶれだ。


 行動的で、過去など振捨てて生きてゆく駒子に対して、葉子は将来が心配になるほど控えめで、土地に縛られ、人に縛られて生きる女性だ。
 踊りと音曲の師匠の息子は、かつて駒子の許婚と目された男だったが、病死した。当の師匠も、かねてより中風病みだったが、息子の後を追うように死んだ。葉子は病人のそばに最期まで付添い、歿後は菩提を弔って墓参りを欠かさない。いっぽう駒子は経済的にすべてを支えながらも、ほどほどに距離を保ってきた。二人の墓に参ることもない。

 互いに深く気遣い、思いやりながらも、あまりに想いが強すぎるために、時として鬱陶しくなり、憎しみに近い感情すら湧くこともある。それでいて眼を離すことができない。いっそ視界から消えてくれと思いながらも、相手の幸せを願わずにはいられない。
 後年川端は、この近親憎悪的な心理を、幼くして生別れた双子姉妹の再会という設定で『古都』に描くことになる。

 島村は駒子に馴染み、葉子の暮しを眺め、散歩途上では雪に晒すことで美しく仕上る縮み織の産地を訪ねたりしつつ、この地の暮しのほうが人間的であって、東京での自分の暮しなど薄っぺらな偽物生活ではないかとの、感慨に耽る。

 そんなとき、繭場で出火した。養蚕業のための大きな建物だが、普段は集会場として使われていて、その晩は映画の上映会だという。当時のセルロイド・フィルムは、旧式の馬鹿でかい上映機材の熱に、しばしば火を噴いたものだった。連れだって散歩中だった島村と駒子も、野次馬よろしく駆けつけた。
 まだ屋根こそ落ちていなかったが、盛んに煙を噴き窓からチラチラ炎の見える建物では、葉子が年寄りや子どもたちを救い出し、また煙の中へと飛込んでゆくことを繰返している。
 「葉子が~、葉子が~っ」
 停止線を破って突進しようとする駒子を、島村は必死で抱き抑える。
 「あんたなんか、さっさと東京へ帰りなさいっ。葉子~」
 いっぱし恋人気分だった島村の鼻先で、共同体のシャッターがガラガラと降りた。駒子は向う、島村はこっちである。共有するものなど、なにもない。

 お若いかたに急ぎ註しておくが、『雪國』は自由恋愛の噺などではない。遊興の巷の噺である。島村が駒子と散歩しようが、夜通し一緒に過そうが、泊りがけでどこかへ連れ回そうが(つまり店外デートもオールもロングも)、すべて玉代に換算されている。宿を引払うときには清算したうえで、帰京の途につくことになる。
 それでなければ、宿の仲居や雑役夫や、近所の人たちまでもが、島村を丁重に扱うはずがなかろう。

 温泉場での出来事は、まるで風船の中で金紙銀紙・色とりどりの折り紙でできた夢の城のようなもの。息の吹込み穴はトンネルである。吹く島村はこっち、東京にいて、妻も子も家もある。そんな構造なのだが、風船の中身に深入りするうちに、そちらこそが人間世界であって、こちらは仮象世界に過ぎぬのではないかと錯覚させられる。
 吹込み穴はトンネルだ。しかし息を吹込んでいるのは駒子のほうで、島村の東京での暮しなどは、しょせん風船の中の世界に過ぎぬのかもしれない。
 錯覚しそうになる島村は、作者川端ではない。似ても似つかぬ人物だ。その人物が、あれは全部夢でした、と告白でもしようものなら、駒子も葉子も一瞬で消えてなくなる。

 川端の肉声など、作中どこにも響いてなどいない。一枚のカード、一枚のコインの、いずれが表でいずれが裏かなんて、そうそう判るはずあるもんかと呟きながら、表と裏のかたちを入念に描き込んでいる近代芸術家がいるばかりだ。
 若き日の川端康成文芸時評に、「日本の小説は西鶴から秋声に跳ぶ」という名言がある。「明治の文豪たちは字づらが汚い。秋声を除いて」という言葉もある。
 悠揚迫らぬ渋い肉声で語りきった徳田秋聲を、川端は尊重していたのだろうが、ただし近代芸術としての小説は、それではありませんと、云いたかったのだろう。

 いやはや記者さんよ。ちょいとお慰みにと思って、ついつい秋聲の短冊なんぞお眼にかけたばっかりに、えらい長噺になっちまって。御足を止めちまって、面目ねえこってした。勘弁してくだせえよ。