一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

今朝の秋



 きっと気のせいだ。違いない。けど、今日も蒸暑くなりそうな気配でありながら、どこか違う。2索(リャンソウ)をツモッて来た感じとでも申そうか。

 起床後ただちに体重測定・検温・血圧測定し、記録する。日課だ。日に一度、不愉快な数値と直対する。自分への戒めのようなもんだ。ただし起床が早朝だろうが午後だろうが、やることは一緒だ。医学的データとしては、たぶん頼りないものなんだろう。
 ちびりちびりと水分補給しながら、パソコンを立上げる。日々のご体験を興味深い写真付きで投稿してくださっている知友が多い。

 小説家の佐藤洋二郎さんはご旅行中だ。徳島・牟岐・阿南、船で紀伊水道を渡って和歌山から南大阪泉州あたり。たしか地方主催の文学賞のご指導をなさっておられたはずだから、ご用に絡めて、今回も神社やら遺跡やら、日本の神々と祖先の暮しぶりに思いを馳せながら、独りで歩いておられるのだろう。
 年若き小説家の藤原侑貴君は東南アジア通で、今はタイをご旅行中だ。振出しはバンコクチェンマイだったのが、やがてラオスとの国境の街だの、今朝はまたミャンマーとの国境の街だのと、少数山岳民族の人びとや暮しぶりを観て歩いているらしい。それとなく掲げてくださる写真が、めっぽう興味深いものばかりだ。自他ともに認める文弱の徒だから、大胆越境してミャンマー解放義勇軍に身を投じたりする心配はないけれども。
 私は終始拙宅の狭い敷地内にあって、雑草や苔ばかり眺め暮している。先日の一時的雷雨が慈雨となって、ミミズの行倒れが少ないといった観察に余念がない。佐藤さんと藤原君と私と、三人の共通点はひとつしかない。初めての街へ入るとまずもって、上機嫌に酒を飲めるのはどこかと、眼が自然に探すという特技だ。私だけはもう長らく特技を発揮してないけれども。

 そんな私にも、明日は座敷が懸っている。まだ先のことだと油断していたら、もう前日である。なにをお喋りするつもりだったんだか思い出しておこうと、骨子メモを取出して眺めた。
 レジュメというような大袈裟なものは用意せずに出たとこ勝負、というのが私の遣り口だが、ご参集くださるかたのご便宜にと、だいたいこんな内容を喋ろうと思いますといった箇条書き書面を作って、一週間ほど以前に編集部へお届けしておいた。お客さまがたには、当日配布されることだろう。
 さてそのメモを眺めて、焦った。いかなる具体例を挙げてこの問題を語ろうとしたんだったか、思い出せない箇所がある。もとより私自身の例など語っても、失敗例の連続だから、人さまのご参考になどなりえない。過去に目撃した噺や上手くいった人の実例などを、逸話としてお報せするのが私の役目だ。骨子メモには要点だの結論だの、場合によっては教訓めいた条項だのが書いてある。そう書くにいたった見聞の具体例がそれぞれあったはずなんだが、さてどなたのどんな逸話をもとに、さような噺を申しあげるつもりだったんだか……。

 一週間も経てば、人間の考えなんぞ、変化する。加えて、忘却も耄碌も著しく進捗する。色即是空なのである。
 今日のところはかように考えます、明日は判りませぬがと、横井小楠という人は意見陳述の末尾に必ず申し添えたというではないか。
 さて興行まで、すでに二十時間を切った。私はなにを喋るべきなのか、メモを手掛りに思い出そうとしている。