一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

金八

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 助六寿司。スーパーでもコンビニでも、そう称ばれている。
 申すまでもなく語源は、江戸歌舞伎十八番『助六所縁江戸櫻』(すけろくゆかりのえどざくら)。粋という江戸の美意識はまずもってこの主人公により代表される、と云い継がれてきた。お相手の遊女の源氏名は揚巻(あげまき)。そこから油揚げと巻物、すなわち助六寿司である。いかにも江戸庶民が大好きだった地口・洒落・語呂合せの産物だ。

 多くの江戸歌舞伎の演目が、もともとは浄瑠璃の演目だったり、音曲の歌詞だったり、つまりは上方由来の元ネタによっているが、『助六』もさようらしい。
 とある説に云う。助六という名前に、すでに上方の匂いがある。江戸者の語感では、助六とはいかにも野暮な名で、粋の美意識を代表する主人公に命名するはずのない名だ、と云う。
 残念ながら私には、その語感、すでに失われている。

 鷹羽寿司はL字カウンターとテーブルひとつだけの、ご家族でなさっている小ていな寿司屋だ。席に着いて酒と肴を注文。ことのほか空腹の日だったので、悪酔いしてもいけないから、「それに梅紫蘇、簾で巻いてください」と云い添えた。
 奥のカウンターでは、十歳ほどの坊やを連れたご婦人が、食事しておられた。私が巻物を箸で口へ運ぶのを視た坊やは、母親の耳もとで囁いた。
 「海苔巻は最後に食べるんだよネ」
 内緒話のつもりだろうが、子どもの声は高い。当方へも届く。
 「お寿司は、手で食べるんだよネ、ママ」

 これは失敬いたしました。どういうご家庭か、おゝよその見当がついた。
 江戸では、寿司は屋台で食わせた。湯屋(銭湯)の前は、屋台商売の一等地だった。湯上りで小腹の空いた客たちにとって、さっぱりした酢飯と江戸前の魚は、おゝいに口に合った。脂の強い魚は、不人気だった。
 なにせ風呂上り。手指は洗いたてだ。平気で手でつまんだ。二つ三つ軽く口にして店を出た。出しなに、暖簾でちょいと指を拭いた。暖簾の隅が汚れているのは、店が繁盛している証拠と看做された。縁起をかつぐ店主は、洗いたての暖簾の隅をほんの少々汚してから出す、とまで云われた。
 寿司屋の暖簾のデザインで、隅っこのほうに千社札のような囲みで「立食い」と染めてあるのを今でも視かけるのは、そうした風俗の名残だ。店構えのテーブル店であっても、立食いなのである。

 そりゃ鷹羽寿司じゃ、おしぼりも出してくれたさ。でも仕事帰りの爺さん、自分の指の清潔さに自信がなかったから、箸を使ったまでのこと。空腹に酒を入れて悪酔いしてもナンだから……坊やには、まだ早いか。
 お母さん。形骸化した変な作法を仕込むのであれば、形式だけでなく内容も、理由も由来も教えておいちゃいかがでしょう。
 ついでに、寿司屋で「海苔巻」といえば、甘く煮上げた干瓢の巻物のこと。鉄火巻も納豆巻も、ましてや太巻を、海苔巻とは申しません。

 ところで昨日の話題、韓国風海苔巻の件だけれど。
 韓流ドラマでは、目出度い日だからと、お母さんが「お餅」を作ったという場面が出てくるが、私はまだ食べたことがない。韓国の餅、興味ある。たしか粽(ちまき)も出てきた。同じく、おゝいに興味ある。
 「スケロク」が世界語にならぬうちに、キンパとチマキを詰合せて、世界に宣伝普及してはいかがだろうか。「金八巻」なんちゃって。