一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

祭の準備



 雨雲の脅威が去ったら、また残暑だと、ラジオが云っていた。確かに気温は上った。が、さすがに秋である。

 おおよそ月に一度、理髪店に寄って頭を丸刈りにしてもらう。マスターはこの春、脳梗塞の発作に襲われたが、驚異的な気力・体力と目覚しいリハビリ効果とで、お仕事に復帰した。しかしここからが辛抱のしどころで、運動機能の八割かたを回復してからの残り二割が、あんがい長引く。もどかしい。
 私は経験者である。ステッキを手放さず、歩きかたも腰掛けかたも深呼吸のしかたすら工夫して、別の生活様式に慣れてなん年も経ってから、アレッそう云えば俺、後遺症なくなってるなあ、と気づいたもんだ。

 
 理髪店への道筋にはフラワー公園がある。秋花壇の花盛りだ。草花の名にも観分けかたにも暗いが、春花壇とは明らかに印象が異なる。なにが違うのだろうか。

 「その後の経過どうよ、マスター」挨拶はこうなる。
 「好くありませんねぇ、あい変らずです」どうやら水平飛行期に入ったと見える。
 「そこからがねぇ。でも時が経つうちに、リハビリはきっと効いてきますよ」
 「それよりも、今度は眼がねぇ」
 病気というほどではないにせよ、マスターには糖尿の体質があって、眼球の裏の血管に血の玉コロができやすいのだという。脳梗塞患者にありがちな連鎖症状のひとつだそうだ。
 「放置すると、失明する可能性もあるなんて、脅かされちゃったもんだから」
 眼科でよくお眼にかかる瞳孔の働きを麻痺させる目薬を差されてから、顎がピタリとはまる台に頭を固定されて、レーザー光線で玉コロを一個一個焼き溶かす治療を受けねばならぬという。
 「パチンッてね、眼と後頭部にデコピンされたみたいに、痛いんですよ、一瞬ね。思わず顔が動いちまう。動かないデッて、若い看護師さんに大声で叱られちゃってねぇ」
 さぞや真剣な、緊張感に満ちた現場なのだろうが、マスターの話術を経由すると、なんだかその場を愉しんできたかのように聞えてしまう。
 「それよりも、一回五万円だって云うんですよ。左右三回づつ治療するってんでしょう。高いなぁと思って。でも失明するよりマシかと覚悟したんですがね。そしたら、五万円は最初だけで、次からは二千円だっていうじゃありませんか。先に云えってんですよ、ねえ」

 
 午前中の涼しいうちに散髪をと思ったのに、ぐずぐずして逸した。時分どきはお気の毒と考え、避けた。
 午後一時に入店。丸刈りとエッジの始末と丸洗いだけだから、時間はかからない。散髪後には、冷たい麦茶と菓子を出してくださり、近隣のスーパーやコンビニの比較など、耳寄りな噂噺をひとしきり伺った。
 午後二時過ぎには理髪店を出た。暑い盛りである。陽翳を縫うように歩く。個人のお住いの庭木花木類には、さすがに春ほどの花は観られない。今を盛りと咲いているのは百日紅の系統くらいだ。
 昭和の頃には、このあたりにも夾竹桃がたくさん咲いた。猛暑を大歓迎して、むしろはね返すような、たくましい咲きぶりだった。毒性があまりに強調され過ぎた時代があって、急速に姿を消していった。
 夾竹桃の根や葉を、ムシャムシャ食う人なんぞ、まさかあるまいに。毒性があるというだけで嫌われる。つまらぬ時代だ。

 
 神社脇の石垣に寄せて、なん台かの車輛が停まっている。階段のない脇参道から境内に乗入れた車輛もある。いずれも造園業者さんの車輛らしく、境内にはいく人もの職人衆の姿が見える。下草を刈り、傷んだ枝葉やひこばえを払い、混み過ぎた枝を透かす作業らしい。しばらく眺めさせてもらった。

 今週末は祭礼だ。境内にはすでに黄色い保護テープを巻かれた電線が張り巡らされ、なおも延長できるように輪にされた電線が要所に提げられてある。
 当日は境内にも、駅周辺の道路一帯にも、露天商のテントが隙間なく並ぶ。歩行者の渋滞が生じるほどの人出となる。
 疫病禍をまったく気にしないで進められる、久しぶりの祭礼なのかもしれない。もうなん年も前から、神輿の担ぎ手はもちろん、準備や交通整理に奔走するかたがたにすら、知った顔はめっきり少なくなった。顔役然として浴衣姿で神酒所に座っているだけの年寄り連中のなかに、かろうじて挨拶できる相手を視つけられるていどだ。ふだんは忘れているのに、祭りが来るたびに、自分はもうこの町の住人ではなくなっているのかと、考え込まされる。皮肉なもんだ。