一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

まつりめし(みたび祭の準備)



 近隣一帯の氏神様の小社を束ねる総社の祭礼、第一日だ。
 暦に云う二百十日だの二百二十日だのに近く、雨祭の異名もある。今年は両日とも好天に恵まれそうだ。地元が長い老人同士が擦違えば、
 「どうだい、今年は晴れたじゃねえか、ええ?」
 「まったくだ。妙なことでも起らなけりゃあいいが」
 なんぞと挨拶する。

 人出は今日の午後からで、明日が頂点となる。老人がうろうろと歩けたもんじゃない。人さまにご迷惑をかけるか、自分が怪我するかである。つまり境内へお詣りしようと思えば、今日の午前中しかないのだ。
 境内では、露天商さんたちがさかんに開店準備だ。店構えのあらかたは完了して、材料の搬入車の到着を待ちながら、ひと息入れて顔馴染みと談笑する風景も見られる。



 コンビニ前も混んでるに~!
 お社の境内ばかりではない。駅前一帯の街路が露店で埋め尽される。地元商店もコンビニもむろん開店中だ。邪魔せぬように出入口だけをからくも避けて、店舗前にも露店は並ぶ。
 資材や商品の搬入車の順番に決りがあるものか、境内の各店に較べると、周辺沿道の各店の準備はゆっくりしているようだ。


 毎年痛感させられるが、祭の準備にかんしては、どこを観ても女性たちがまことにたくましく、カッコイイ。

 境内の石垣に沿った、いわば片側町のようになった道は、当然ながら関係車輛以外は進入禁止の措置がとられてあるのだろうが、日ごろは配送や営業の車の通行が多い道だ。たいそう不便と感じるかたも、さぞや多かろう。だがふだんから神様の脇の下を通行してきたことに無自覚だったほうがどうかしている。祭礼二日間の進入禁止くらい、あたりまえである。

 
 スタンバイ、オーケー。こっちもヨ~!

 昨日、職人衆が建てた安置所に神輿が入った。午後になれば、出番だろう。
 野尻組に一本持参する。恒例だ。朝方からのひと仕事の区切れ目だったらしく、事務所には顔見知りの若い衆があらかた顔を揃えていた。
 「今年は晴れ祭だね。お骨折りだろうが、ひと汗かいてくださいな。これ、おやつ。こちとら、寄る辺のないジジイの独り暮しなんだ。なんかあったら、助けてね」
 「まかしてください。親父からも云われてますから」
 頭(かしら)の息子が元気よく応えてくれた。時たま銭湯で会う青年だ。


 帰宅して、朝食のような昼食のような本日第一食。ゴマ塩赤飯・さつまいも・鶏五目の「三色おこわ」。私にとっては豪勢な祭飯である。