一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

影響さまざま



 葉山修平と聴いて、あァあの小説家と思い出せる人は、もはや少ないのかもしれない。噺作りに巧みな、達者な小説家だった。

 私にとっては恩師のひとりだ。ただし文学の師ではない。高校時代の現代国語の安藤先生(ご本名)だった。生徒の前ではっきりとものを云ってくださる、ありがたい先生で、強く感化される生徒も少なくなかった。
 高名な哲学者の評論文が教科書に載っていて、それを読解する授業で、原文に「象徴的だ」とあったのを、「やや不正確、ここは「暗示的だ」が正しいね」と言下に指摘なさった。なんと強気な先生かと思った。
 高校生の読解力では、どっちでも意味は通る、くらいの感想でしかなかった。が、「象徴的」と「暗示的」の相違について、その後長く考え続けるきっかけにはなった。問題はあんがい些細でもなかった。この件を授かっただけでも、安藤先生は恩師のお一人である。

 直木賞候補にも推され、文學界新人賞の佳作にも推されたが、晴れの場に立つというにはあと一歩の作家だった。知る人ぞ知る存在で、たとえば野坂昭如は葉山修平に兄事しているなんぞという噂も耳に入った。
 出世作『バスケットの仔猫』に注目した室生犀星が指導と励ましの手紙をくれたことが縁となって、犀星に師事し、犀星研究の第一人者となっていった。私たち生徒には、室生犀星の正統な一番弟子と公言しておられた。

 売れっ子というほどではなかったから、著作を手に入れるにはやや骨が折れた。初版が入手困難ということで、『バスケットの仔猫』や直木賞候補作『日本いそっぷ噺』など、初期短篇を集めた作品集が小出版社から刊行された。また代表作といっていい『終らざる時の証に』も、後年再刊行された。いずれの版も、わが手元にある。
 ほかに『小説 室生犀星』と、初心者向け作文指南書『新しい文章作法』と、短篇が掲載された『三田文学』のバックナンバーとが、手元にあった。
 再読の機会もあるまい。葉山修平を古書肆に出す。


 近代小説の構造カラクリをもっとも研究し、その研究成果を果敢に試そうとした人として、伊藤整を考えてきた。
 評論著作からは、頭の好い人に整理してもらうとこんなにも事態が解りやすくなるのか、との思いを味わった。しかし小説作品に関しては、初期のみずみずしい詩情をたたえた自伝的作品や、研究成果の実施的作品よりも、後年の『氾濫』『発掘』『変容』などが記憶に残っている。
 ここは一番、伊藤整をあらかた読んでやろうかとの野心を抱いた年頃があって、全集刊行時に予約して毎月入手していったのだったが、むろん全巻通読するには至らなかった。今後も作品再読の機会は訪れまい。チャタレー裁判関連の巻だけは残したい気もあるが、揃いものをバラシてしまうには忍びないので、『伊藤整全集』全24巻を古書肆に出す。

 現在の私は伊藤整を読み直すのであれば、いずれも『全集』に収録されてない『日本文壇史』と『太平洋戦争日記』だと思っている。これらは残す。