一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

地縁

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 左腕にNHKの腕章を巻いた、二十代後半とおぼしきお嬢さんが、投票を了えて出てくる人を見つくろって、話し掛けていた。もし呼び止められたら、「お断りします。NHK様であれどなた様であれ、自分の投票行動について語る気はございません」と応えようと思っていたが、無視された。いかなる側面から視ても、住民の代表でも平均でもありえないから、当然だ。

 ひがんで申すわけではないが、常づね「出口調査」なるものに、疑問をもっている。ありていに申せば、反感すら抱いている。
 選挙によっては、開票開始と同時に、「当選確実」が報じられたりする。投票者を、さらには有権者すべてを、ずいぶん馬鹿にした噺だ。
 そりゃ推測は相当な確度で正しいのだろうさ。統計技法は高度なのだろうさ。事前の情報収集にも、抜かりはないのだろうさ。
 さようではあろうが、だったら開票時刻って何なんだ?

 妊婦さんを診察して、出産前に胎児の性別が判るという。両親が希望すれば、告げてもらえるという。これも同様に、人間を馬鹿にした噺だ。
 母子の健康を確かめ、胎児に奇形や先天性疾患がないことを確かめることは、有益だろう。胎児の遺伝子を採取して、父親が誰かを特定するなどというのは、かなり微妙ではあるが、犯罪捜査上また民法上やむをえない場合も生じるかもしれない。
 だが性別や身体的特徴や、性格・資質・才能までをも出産前に知ろうとすることは、自然に対する冒瀆とも、人間を馬鹿にした行動とも思えてしかたない。

 出口調査にせよ、出産前性別告知にせよ、人間の尊厳よりも、科学的に知りえた情報をいち早く金に替えようと先を争う、いずこかの思惑が働いているかに思えてならない。判る科学技術力を手にしたからといって、無闇やたらに振回せばよいというものでもあるまい。

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 拙宅の道路の面した側面には、昭和三十三年以来改装していない、まことに痛々しいブロック塀が立っているが、そこには公明党日本共産党のポスターが、常時貼り出されている。接着テープや鋲打ちだけでは剥れやすいから台紙を設置させて欲しいと、かつて両党から願い出られたので、了承した。しっかりしたポスター掲示だ。
 二党以外からも、ポスターを貼らせて欲しいとのご依頼は、当然ながら数かずあったが、すべてお断りしてきた。

 かつて『文藝春秋』ほかを舞台に激しい論争を繰広げたこともある、いわば水と油の二党だ。私の見識を疑われる場合もある。
 現役社会人だった時分、複数の新聞に眼を通していた。全国紙かブロック紙を契約し、喫茶店や居酒屋ではスポーツ紙を読み、電車の網棚に置き捨てられた夕刊紙は、恥も外聞もなく拾って読んだ。『赤旗』と『自由新報』の購読者だったこともある。

 日本共産党の末端活動員の数人とはその頃からの付合いが続いていて、地域住民の諸問題やら、バザー開催やら、細ごました情報を耳に入れてくれる。代々木の党本部内部の見学ツアーに誘ってくださったことがあって、得難い機会だから参加した。セキュリティーや建物内の情報管理の鉄壁に舌を巻いた。小池晃さんが出てこられて、ほんの十分間ほど談笑した。地方の熱心な党員が来訪するさいに、温かく対応なさり慣れておられるのだろう。まことに屈託なく如才ないかただった。

 父は私より遥かに会計が面倒な職業だった関係で、毎年度末にはご近所にお住いの税理士さんのお世話になっていた。私は自力で確定申告用紙に記入すれば済む少額単純人生だったが、父歿後現在までも、あれこれお知恵を授けていただいてきている。その税理士先生が公明党の活動員で、ご依頼があったので、ポスターを貼っていただいている。

 日本共産党とも公明党とも、思想信条でも党綱領でもなく、長年にわたる地縁やらご恩やらで、繋がっている。国政選挙にあっては我が思想信条にてらした判断をしても、地元地方選挙の場合には、おのずと別の判断基準も生じるのである。それこそが地元のご縁に生きるということだ。

 何年前だったろうか。ある朝気づいてみると、あえて党名は匿すが、新興宗教団体系の小政党のポスターが、貼られていたことがあった。むろん了承した憶えはない。細かい文字まで読んでみたが、掲示責任者名も連絡先も記載されてない。
 仕方なく、候補者の選挙事務所を調べて、電話してみた。電話取りすら置いていないのか、コールすれども誰も出てこない。少々腹が立ってきた。
 党本部の選挙広報課(そんな課があるかどうか知らぬが)宛に、手紙を書いた。
「ご経験不足のお若い運動員さんが、ご熱心のあまりになさったことかと拝察いたしますが……」と、精一杯馬鹿丁寧に書いた。今日あたり着いたかなと思える日の翌朝、表へ出てみると、ポスターは影も形もなくなっていた。

 黙って貼ってゆき、黙って剥していった。なにも菓子折り持って来いとは申さぬ。選挙違反に巻込まれても詰らん。だがほんのひと声掛けて、せめてインタホン越しにでも謝るか挨拶するかくらいは、あってもよさそうなもんではないか。
 おそらくは、水と油の両党のポスターを眼にして、この家は何をしても無頓着な家と判断したのだろう。が、見えてないのだなぁ。貼ってあるのが二党だけで、自民党も他の野党もいっさい貼ってないということが、ことのほか重要なことだなどとは、考えもしなかったのだろう。
 いやそれ以前に、政治には思想信条・国家観・人間観のほかに、日常身辺に密着した地縁という要素もあることを、ご存じなかったのだろう。