一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

能わず

 本日現場は、玄関から門扉までの五メートル。門扉とはいかにも偉そうで実状に不正確。ふだんは「木戸」と称んでいる。合金製なのに。

 今朝も涼しい。こういう朝が、あと五日続いてくれると助かるのだがと、作業目算してみる。
 だが巷間云う。熱中症が少なく救急車や病院が楽なときには、エアコン販売店と、海の家と、かき氷屋は青息吐息だと。私にとっては大助かりでも、世の中のどこかには、歯ぎしりの朝をお迎えのかたがいらっしゃるかもしれない。手放しで大喜びしては差支えあるだろうか。

 今朝の作業場にはかつて、多くの鉢植えがずらりと並ぶ階段状の棚が設置されていた時代があった。名残で、ガラクタが多い。木材・金属・樹脂類、それに鉢およびカケラ。草むしりにひたすら没頭すれば済む、というわけにはゆかぬ面倒臭さがある。
 また粗悪な地の土には馴染まずとも、鉢内の土ならとばかりに、どこかからやって来た小植物や蘚苔類が、鉢棚の崩壊後には逞しくも先祖返りか野生化して、命長らえて今に至るという種属もある。

 陽当り風通し、ともに申し分ない場所だから、毎春タンポポはじめキク科の野草類がたくさん花を開く。クローバ類も来る。山野草の寄植え鉢からこぼれたオダマキも、逞しく野生化して咲く。かつてほかの場所で役目を了えた春蘭がひと鉢あったので、コイツは半日陰を好むからと、鉢棚の下に地植えしておいたら、いっときお前ほんとに春蘭かよというくらい繁茂したが、十年ほどで消えていった。周辺を包囲するドクダミの地下茎や、上空を制圧するヤブガラシにやられてしまったのだろう。

不本意ながら時間超過、にもかかわらず未終了。

 植物を支柱に括りつける針金も出てくる。かと思うと、なにかを吊るすフックの役目をしたものか、深く湾曲する金属もあって、軍手を縫うように刺し、ご丁寧に釣針のような返し止めの突起まで付いている。想定外の時間浪費だ。
 キャンデーやチューインガムの個別包装紙や焼海苔の小分け袋など、銀紙や薄手の樹脂シールも少なくない。どこから飛んでくるのだろうか。それともひと眼を避けて投入されるのか。ゴミとして仕分けるのにも、時間を浪費する。

 三十分作業の原則を破り、四十五分作業に格上げした。にもかゝわらず、まずい事態が発生。雲行きが視るみる好転し、涼しかった朝が気温急上昇の午前に早変りしたのだ。抵抗する能わず。不満足の状態で、作業を切上げた。

 本日の拾得成果:細長系ガラス花瓶一個。経費:拙宅前伊藤園さま自販機にて「一日分のビタミン」ひと缶、百二十円。