一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

移封準備

ひと坪ビフォー・アフター。

 風のない日だ。今日の三十分作業は、一昨々日に続く隣のひと坪だ。

 主題は同じ。ドクダミとシダ類の跋扈を停める。開花せぬうちにできるだけ進捗させておきたい。ドクダミの花は小ざっぱりと可憐で、一面に咲き揃った観映えは壮観だなどと悦に入ったがために、後のちえらく往生した年があった。
 しょせんは果てしもない、虚しいイタチごっこなのではあるが、第一陣を叩いておくと、急遽芽を吹いてくる第二陣は格段に与しやすいと、経験から学んだ。

 もうひとつの主題は、これも一昨々日と同じだが、もと植木棚の下に当るので、放置されたり半分土に埋れていたりする鉢類を回収し、「プラ」と「割れ」と「再利用可能」とに分類することだ。
 鉢として活きていた時分、なにが植えられていたかによって、用土がいろいろだ。普通の田土のほかに、鹿沼土も出てくる。軽石も混じる。水はけ通気性を目途とした、特定植物専用の用土である。しかし土については、あえて分類しない。そこらにぶちまけておけば、土相互の力関係によって自然の配合へと馴らされてゆくだろうと判断した。
 それよりも難敵は、鉢内の用土がもはや少なく、密集した根の塊となっている場合だ。これを用土と一緒にぶちまけてしまうと、とんでもない時期に思いもかけぬ輩が芽を吹いてきかねない。用心深く扱って、引っこ抜いた草類の山に捨てておく。

 とある大型鉢の用土のなかから、角砂糖大に砕いた発泡スチロール片が二十数個も出てきて、舌打ちした。許されぬゴミである。こんなものがいつ紛れ込んだろうかと、一瞬は思った。が、気づいた。おそらくは母の仕業だ。なにかを鉢替えしたか根分けしたかのさいに、根を安定させるためか、土中温度を保つためか、水加減を調節するためかで、こんなこともしてみたのだったろう。骨を拾うように摘んで、ゴミに分類する。

 今日のひと坪には、残さねばならぬ株がひと株だけある。剣状の葉を繁茂させ、土中にはバルブのような大球根を形成している。今でこそなんの変哲もない、迷惑者の姿をしているが、これは彼岸花である。しかも珍しい白花種である。季節になると、あっぱれな花を咲かせて、愉しませてくれる。
 門扉近くにいるこの株を、より玄関側のどこかへと植替えなければならない。拙宅敷地の半分は道路予定地とやらになっていて、早晩東京都から召し上げられる運命にある。さような場合この株は、新設道路からわずか一メートル半の、いわば道路際となってしまう。整地するだの塀を設けるだのといったゴタゴタは避けられまい。今のうちに、残地内奥のいずこかへ植替えてやろうかと考えているのである。
 できれば今日、植替え作業まで行きたかった。だが危惧したとおり、鉢やゴミや、用土や古根の分類に手間どってしまい、すでに一時間を経過した。これ以上は筋肉痛のもとだ。とりあえず根かた周囲の、枯れて変色した古い葉だけを抜き取って、本体をそのままとした。
 そうなればなったで、とりあえずの数メートル移動なんぞではなく、陽当り風通しその他、最適の場所を見つくろって、その場所の草むしりをしっかり了えてから、堂々と移封させてやりたい気にもなってきた。