一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

品格


 テレビを観る習慣がないので、せめてネットニュースでもと思い立ち、英国女王の棺を埋葬地へと運ぶ葬列のライブ中継を観た。

 高度経済成長期の後くらいだったろうか、かつての大英帝国の威容はもはや影をひそめたと、さかんに云われた時期があった。いかなる数値を取沙汰したのだったか、わが国はすでにイギリスに追いついたなどとも云われた。本当かなと、私は疑ったものだった。
 あるとき浅薄なテレビ番組に、たまさかロンドンの市中レポートがあって、三階建てだか四階建てだかの集合住宅で、材木とガラスと鉄が組合さった古風なエレベーターがガタンゴトンと動いていた。ご覧なさい、ロンドンでは今でも、こんなオンボロ・エレベーターを使っているのですよと、云わむばかりの番組作りだった。恥かしかった。

 十階建てのビルであれば、当然イギリス人だってなんとか工夫するに決っている。低層ビルではこれで間に合う、速度も強度も積載量も十分と判断したからこそ、古いものをメンテナンスしながら使い続けているのだろう。東京オリンピックを目処に、むやみやたらに壊しては造り続けて、進歩だ発展だと自画自賛の真最中である土建国家とは、わけが違うのではないかと思えてならなかった。
 好し悪しの問題ではなく、古い新しいの問題でもない。文明の局面が異なるだけのことだ。イギリス人って、たいしたもんなんだなと、わけもなく感心した。

 半世紀以上経った今、日本ではまだ現金で買物をしていると嗤う外国人があるそうだ。肌に彫りものを入れることを嫌う国民が多いとは、なんと世界標準から遅れた国だと嗤う外国人もあるそうだ。文明の局面にも、文化的いきさつにも、美意識価値観にも無知な外国人の云いぐさだと、私には思える。大きなお世話だ。放っといてくれ。来る気があるなら、慣れるなり学ぶなりしてくれ。

 民放番組の司会者だかコメンテイターだかが、葬儀というより壮大なショウを観ているようだと、揶揄して云い放ったと、ネット上を賑わしているという。なんたる無知だろうか。
 ショウですよ。決ってるじゃないか。儀式はみんなショウです。アンタだって、これより何百倍もわざとらしい結婚式というショウを演じて、ご家族をもたれたんじゃありませんかね。
 ネットニュースのあいだじゅう、葬列もさることながら沿道の市民たちを、注意深く観てみた。市民のおゝかたは、馬鹿騒ぎするでも涙にくれるでもなく、つまり興奮せずにショウを眺め、参加してもいた。やはりイギリス人って、たいしたもんだ。

 ヘリコプターかドローンかによる上空からの映像も挿入されたが、先導バイクや霊柩リムジンのドライバーたちも見事だった。側近として棺に触れる近衛兵はもちろん、軍楽隊や、日本で申せば八瀬童子たちも見事だった。華美に流れることもなく、さかしらに勿体つけることもなき、整然たる儀式だった。
 女王崩御から日数も少なかったのに、危うげのない進行だった。女王ご高齢につき、この日あるを慮って、かねてより構想されてあったのだろうか。
 わが国の元宰相にたいしても「国葬儀」なるものが催されるらしい。当日記は天下国家には触れない。賛否是非は論じない。が、英国女王の場合よりは日数もたっぷりあった。なにごとにつけても、緻密に執り行う職人気質の人材豊富なわが国のこととて、心配はしたくないが、催すからには品格を損なうがごとき下品な儀式は恥かしい。
 豪華豪勢は下品である。質素にして精神性高雅なるを好しとする。かつては日本人の得意分野だったはずだが、昨今の風潮を考えると、少々不安だ。

 横たわる女王のおそらく頭のあたり、棺の上には王冠が置かれ揺るぎもしない。わが国の元宰相の祭壇には、具足としてなにが供えられるのであろうか。白鞘の刀剣だろうか。生涯使ったことなどあるまいし、所持した経験すらなかったろうに。女王はこの王冠を頭上に、いく度となくお出ましになったのである。