一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ひとさし

 日本語が戻ってきた。案の定、設定チェックの知識不足による、初歩的トラブルだった。説明されれば、なるほどそういうものか、である。
 この間数日、メールやSNSを通じて、さらには、あろうことかこのブログ上でも、ご指南やお励ましをいただいた。まことにまことに、まことに、ありがとうございます。

 これを機会に、根本から勉強し直せばよろしいようなものの、自分の勉強能力には、おおいに疑問なしとしない。
 五十五歳でパソコンをいじるようになった。それ以前は、「文豪ミニ・ファイブ」というワープロを使っていた。当時すでに縄文式ワープロと、友人たちから嗤われていた。いよいよ俺もパソコンかな、と思案していたところ、中学以来の悪友でパソコンに詳しい男から、懇切な忠告を受けた。
 ――お前みたいに、テレビゲームも知らず、携帯を持ったこともねえ奴が、いきなりパソコンに触れば、迷子になるに決ってる。なんの基礎もねえんだからな。いゝか、ワープロとメールと、何と何、パソコンにやらせることを、あらかじめ決めて、それ以外にはけっして手を出さない心がけが、身のためだ。
 もっともな忠告だった。今でも、「パソコン不具合? じゃあ、スマホでフォローしといてください」なんて云われても、俺、スマホ持ってねえし。

 不具合の三日間、ローマ字で短文を挙げた。効果てきめんだった。明日にでも、ビックカメラ・パソコン館の故障相談コーナーへ持込もうかと思っていた矢先に、滑り込みで、齢若き友人たちが駆けつけてくれた。二十五日前に、このブログ立上げに骨を折ってくれた友人たちだ。で、パソコンではなく、私の不具合を修正してくださったわけである。

 FaceBooktwitter上では、病気見舞いのコメントやら、いっそこのまま行けよ、石川啄木のローマ字日記みたいで、いゝじゃねえか、なんぞという、他人の苦悩は蜜の味みたいな、悪友の揶揄にも接した。いずれも、ありがたく。
 じつを申すとこういう反応は、私の意図に、はなはだ叶うものだ。

 売文をしていたころ、かなり無遠慮で我がまゝな職人だった。けれど自己規制の線引きはあった。これを書くと、おふくろが恥をかくことになるなぁ、という一線だ。
 今、両親はすでにあっちだ。兄弟も家族もない。自分も一丁前に齢老いた。憚る筋はどこにもない。
 このブログは、惨めでよろしい。カッコ悪いほどよろしい。あえて「老残」と名乗った雑記なのである。蜂のひと刺しではないけれど、くたばる前の「老残の舞」ひとさしの舞台だ。