一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

せめてもの


 自分なりに厳選に厳選を重ねて、残ったのがこのワンカットというのは、いかにも悲しい。忘れないでおこう。

 引続き大学祭の件。展示場の隅にいたところで店番にも荷物運びにも役立たぬ身ゆえ、他棟の他学科展示や他サークルの催しなどを、観て回る。撮影が許される場では、シャッターも切る。
 昨年の芸祭は、学生と関係者のみ入構許可との制限があって、私は入構できなかった。なんらかの措置を講ずれば可能だったろうが、策をめぐらすを潔しと思えなかった。
 今年はともかくも、来場者をお迎えしての大学祭だ。若者たちにしてみれば、晴れの活動・表現の場である。冷水をぶっかけるわけにはゆかない。けれども、これが芸祭だと思って欲しくない。中途半端な気分だ。

 今年の芸祭をワンカットで象徴せよとなれば……。入構門のアーチでもなければ、展示会場の盛況場面でもない。灯の点らぬ大食堂の、空席であり、稼働する気配のまったくない厨房だ。そしてこの貼紙だ。
 今の下級生は、かつて高校生時分には、修学旅行が中止され、運動会が取りやめにされた生徒たちだった。大学へ進学すればもう少しなんとかと、期待は大きかったろう。
 が、入学してみたら、同級生とお喋りしながら愉しく食事することはまかりならんと云われる。サークル活動にあっては、学外を出歩くな、多人数で集るな、対外試合や他校交流はするな、合宿などもってのほかと云い渡される。
 ようやく規制が少し緩んだ。ようやく開催された有観客大学祭だ。開催されただけでも、良しとすべきだろうか。

 わが古研では、最終日閉店後の打上げには、OB 連中が多数参集してくれる。同窓会さながらだ。現役学生との顔合せ会でもある。
 極限まで約束事を少なくしたサークルだ。会則も、会費活動費の負担もない。会員名簿すらない。どこからが会員で、どこまでが愉しさだけを摘み食いに立寄った飛入りか、境界が曖昧だからだ。さように密度薄げな会が空中分解も雲散霧消もせずにいられるのは、中心にいるほんの数名の執行部が縁の下の力持ちとして、泥のような苦労を続けてきたからだ。
 現役時代にさような苦労を味わった、歴代の会長や幹部が、多忙な社会人となっても後輩激励に駆けつけてくれる。この数年が、サークルの存続に関していかに困難な時期だったかも、ほんのひと言の報告で理解してくれる。

 二十年前に卒業した大先輩と、OB に組み入れられる時期を先延ばしにしてまで現役活動を続けている大学院生と、今年入学の新入生とが一同に会する。リモート授業とやらで、同級生とすら深く交わらずに入学してきた一年生が、親子ほど年齢差ある大先輩と、すぐに打ち解けられるはずがない。
 けれども、さような場面もあるのだ、それが有益なのだ、大学とはさようなところなのだ。せめてもの機会を、現役学生諸君に提供したい。満足ゆく水準では、とうていないけれども。

 好意も悪意も抱かぬ中間距離の、並の付合いを苦手とする若者が多いらしい。友達といるより独りでいるほうが、何倍も楽だという若者も多いらしい。
 だが、と年寄りは思う。若いのだから、なるべく友達とともに居なさい。一人ぼっちになる機会なんぞ、この先いくらでもあるから。