一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

足で稼ぐ



 新学年となって、学生サークルも新執行部による新入会員勧誘活動が始まる。

 新入生歓迎行事なる催しがある。学生は春祭(はるさい)と称んでいる。秋に開催される大学祭のミニチュア版との位置づけだ。音楽・演劇系の専攻グループやサークルによるパフォーマンスが披露されたり、スポーツや武道系サークルの模擬演武が実施されたりする。文化系趣味系サークルもそれぞれブースを割当てられて、PR 合戦を繰広げる。
 古本屋研究会も小さな古書店を出し、訪れてくれた新入生に向けて、このサークルの愉しさや日ごろの活動状況を宣伝して、次代の会員を募る。
 鉄は熱いうちに……まずは古本屋巡りの面白さを体験してもらうことがなによりだ。近日中に軽めの散策コースを設定して、一人でも多くの新入生に、一緒に歩いてもらう。そのお試し散策への案内ビラを配布するのが、春祭の大きな目的だ。

 疫病騒ぎのとばっちりを受けて、学外へ出ての思うさまな活動などできない高校生活を強いられた新入生が入学してくる。新執行部のほうも、たとえ取るに足らぬ些細なことであっても、なにかと先輩や OB から経験を聞かされる機会を、極端に封じられてきた学生たちだ。双方ぎこちなく、双方が手探り状態にならざるをえまい。
 集るな、学外へ出るな、人混みを歩くなと云い渡されたのでは、若者と神保町を歩くことすらできなかった。百貨店その他で開催される古書展などは、もってのほかである。いわば古研も、四肢をもがれた状態だった。

 何十年もの伝統を誇った有名サークルであっても、昨秋の大学祭に参加してこなかった例がある。お国の、社会の、大学のお偉いサンがたには、さぞやご苦労多かったことだろうが、下じもにもシモジモなりの、眼を疑うほどの栄枯盛衰があった。
 そのなかで、先月卒業していった学年も、今年最上級生となって半分 OB 扱いになる学年も、そして新執行部も、じれったい冬の時代に我慢に我慢を重ねてきた若者たちである。老舗の有名サークルがバタバタと活動休止してゆくなかで、非公認弱小サークルたる古研は、灯を消さずに生き残ってきたのである。
 しかもその活動趣旨たるや、週末や祝日を利用して、各所の古本屋を歩き回るというだけのこと。あとは年一回、大学祭に手作り古書店を開店するだけのことである。身をもって味わったもの以外には、なにが愉しいのかと首を傾げざるをえぬサークルだ。

 だれそれのどの本を探していると目星がつくほどに勉強が進んだときには、ネット検索で本を探せる。日本中の古書店をネットワークした、データベースのごとき巨大サイトも完備されてある。
 しかし若き日の知との出逢いは、さような捷径を辿って本人に訪れるわけではない。探しものの隣にこんな本があった、思いも寄らなかったこんな本を眼にしたという小さな経験の積み重ねをとおして、借物でない独自経験としての知と出逢ってゆく。無駄を覚悟で足を棒にしなければ、固有の見聞など拓けるはずがないのだ。検索はしろ、ただし歩くことも忘れるな。これが古本屋研究会である。
 学生サークルであるにもかかわらず、飛入り社会人もやって来る。学生時代の精神を維持し続けようと考える OB 連中だ。また他大学の学生が混じることもある。友達に誘われて興味を抱いたとのことだ。すべてウェルカムである。
 ただ今週に限っての主眼は、新入会員の勧誘だ。いくらなんでも、孫たちを勧誘するような場に、最古参の老人会員は顔を出さないけれども。