一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

安心【揚】


 
 さて歳末だ。

 二十七日だったかな、坊やのお守りかたがた、早起きして飯を炊いてた朝のことさ。東隣の園右衛門の家が、今日は餅搗きだとみえて、えらく準備にあわただしい。
 搗きあがったら、隣近所へ配って歩くのが、古くから村の慣わしだ。冷えちまってはまずかろう。ほかほか湯気が立つうちに、ぜひ賞味してみてくれと、云われるに決ってる。
 おらが家の飯も炊けてはいたんだが、食事の時刻を遅らせて、今か今かと待っていたんだ。が、とうとう配りに回って来なかった。その間に、おらが家で炊いた飯は、氷のごとく冷やっこく固まっちまった。

   餅搗が隣へ来たといふ子哉  一茶
   我門へ来さうにしたり配餅   〃

 あたしぁ、村うちで冷たくあしらわれてるからねえ。八歳のときまま母が来て、腹違いの弟もできた。あたしを可愛がってくれた祖母が死んで、長男なのに江戸へ奉公に出された。以後十年以上も、帰っちゃこなかった。上方や讃岐まで流れていった時期もある。そのあいだに義母と義弟はすっかり村の人よ。
 親父が死んで、家産相続についちゃあ、義母や義弟とじつに長いこと揉めに揉めた。どうにか俳諧師と目されるようになったころ、ようやく手打ちになってね、この奥信濃へ戻ってきたわけさ。

 長年行方知れず同然だったうえに、戻ってからも行脚だ修行だ俳諧の稽古だと、しょっちゅう村を留守にした。村の衆にしてみりゃ、俳諧なんざ裕福な旦那の道楽芸よ。遊俳ってんだがね。ところがこちとらは、これでオマンマ食ってるんだ。業俳ってんだがね。村の衆はそんな男、視たことも聴いたこともありゃしねえや。気心の知れねえ怪しげな乞食坊主のように、見えたのかもしれねえなあ。
 ほとんどが義母義弟の味方よ。そうとも、冷てえもんだったぜ。餅配りの仲間外れにされるのも、合点がゆかぬわけでもねえや。

 ところでこの地方は、よくせきの事情がある家のほかは、浄土真宗の信者なんだが、それがどうもねぇ。
 他力信心だ他力信心だと力みかえって、口ばかり先へ出ちまってる連中にかぎって、こだわりの自縄自縛にがんじがらめとなって、自力地獄の炎のなかへポタンと落ちちまうようだ。
 それから、生れてこのかた畑土を塗り込んできたような土百姓が、ずうずうしいにもほどがあるじゃねえか。阿弥陀さまどうか美しく神ごうしい肌艶にしてくださいと頼みこんだうえに、頼みっぱなしのまんま本人その気になって、五体すでに仏さまみてえにすべすべツルンとなったかのように、人まえで小憎らしく澄ましかえってるのなんざ、さしづめ自力の張本人と云えようねえ。

   彼是といふも当座ぞ雪仏  一茶
   能なしは罪も又なし冬籠   〃

 親鸞上人はおっしゃってる。「隔ヌル地獄極楽ヨクキケバ只一念ノシハザ也ケリ」
 「どのように心得ればご流儀に叶いましょうか」とお訊ねすれば、お応えはかようだろうさ。「べつにこむづかしい細目などありませぬ。自力だ他力だなんだかんだと、どうでもよいことはみぃんな沖の潮目にでも流してしまって、残る人生の大事については、全身を如来さまの前に投げ出して、地獄だろうが極楽だろうが、あなたさまのお計らいどおりになさってくださいませと、お頼み申しあげるだけのことです」とね。

 さよう肚を括ったからには、口先で南無阿弥陀仏を唱えながら、春の野良仕事が始まったとたんに、人目を盗んで自分の田にだけ余分に水を引くなんぞという盗人根性を、ゆめゆめ持ってはならねえよ。
 むしろお念仏を唱えることすら必要ねえのさ。お願いなんぞしなくたって、仏さまは勝手にお守りくださっちまう。わが流儀の浄土真宗にあっての安心とは、そういうものさ。
 んじゃ、まぁこのあたりで。ごめんなさいよ。

   ともかくもあなた任せのとしの暮  一茶(五十七歳)

 文政二年十二月二十九日

一朴抄訳⑬ 了