一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

まま子


 むかし大和の国は立田村ってとこにね、おっかねえ女もあったもんで、まま子に十日も飯を食わせなかったってさ。しかも椀に山盛りの飯を見せびらかして、
 「あの石地蔵さんがこれを食べたら、おまえにもやるよ」だってさ。
 子はひもじくてひもじくてならねえから、石仏の袖にすがってしかじかと次第を訴え、どうかどうかと一心に拝んだ。そりゃそうだわな。
 するとどうだい、石の地蔵さん、やおら大口開けてむしゃむしゃと、椀の飯をすっかりたいらげちまった。
 これにはさすがの鬼まま母の角もポッキリと折れてね、それからってもんは腹を痛めた実の子と分けへだてなく、育てるようになったとさ。
 その石地蔵菩薩さまは今でも村にあってね、節季節季のお供えもんが絶えねえそうだ。

   ぼた餅や藪の仏も春の風  一茶

 まま子が割を食った句には、事欠かねえや。芭蕉翁だって俳諧に詠み込んでいなさるが、こりゃまあ、前句との付け筋の具合もあるから措くとしても、他にもこんなのがある。

   竹の雪はらふは風のまゝ子哉  正勝
   うつくしきまゝ子の貌の蠅打ん  紅雪
   なげゝとて蚊さへ寝させぬまゝ子哉  未達

 源流っていうかねえ、旧いところじゃ、こんなのもある。

   小さき土鍋のありけるを我腹の子にとらせて、とらせざりければ、
   鶯の鳴をきゝてよめるとなん。

   鶯よなどさはなきそちやほしき
     小鍋やほしき母や恋しき  貫之娘

 ♪ 親のない子はどこでも知れる 爪を咥えて門に立つ~
 子どもらが戯れに囃す唄ってのは、残酷なもんさ。囃したてられたほうは、堪ったもんじゃねえや。遊び仲間もほとんどできずに、畑の隅っこに積みあげられた刈萱の山の陰にうずくまって、日暮れまで時間つぶしさ。我ながら、哀れなもんさ。

   我と来て遊べや親のない雀  彌太郎(六歳)

 彌太郎はあたしの幼名さ。五年前に別のところで「我と来て遊ぶや親のない雀」と出してね、そん時は「八歳」としておいた。このたび六歳と換えたには事情があるが、それはまぁいいや。
 それより「遊ぶや」を「遊べや」にしたことさ。雀どん、遊ぶべえよ、と下手に出て語りかける気分だったんだが、「遊べ」「遊ぶべし」と雀に命じているかのようにお読みなさる人も、あるそうだねえ。
 まぁ句なんてもんは、どうお読みくださっても、よろしいもんだけんどもよ。

一朴抄訳⑨