一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

露の世


 愉しみの頂上には、まさかのどん底が口を開けてるって、とかく世間で云われちゃいるがね。

 あたしの場合は、愉しみの半分も過ぎちゃいなかった。常盤木の苗がほんの双葉ほどほころんだかという、笑い盛りのみどり児が、寝耳に水が押寄せたかのような荒あらしい疱瘡の神さんに見込まれちまった。水っぽい膿のデキモノに躰一面覆われた姿は、ようやく咲きかけた花が泥雨にしおれたようで、まわりで看ていてさえ苦しそうで辛そうで、眼を逸らしたくなるほどだったよ。

 なん日か経つとね、デキモノは乾いてカサブタになって、雪解けの谷間の土みてえに、ほろほろと落ちていった。
 やれありがたや、夫婦して悦んだねえ。さんだら法師を拵えてね、娘の躰を笹の葉で湯浴みさせてさ、病気の神さんを送り出したさ。
 米俵の両端の桟俵つまりサンダラボッチは、流し雛と同じでね、病気の神さまをこれに乗せて川へ流すという風習だ。むろん娘を洗った湯はすべて桟俵に浸み込ませたさ。

 それでもますます弱ってきてね、昨日より今日と眼に見えて衰弱しちまって、ついに六月二十一日、朝顔の花と一緒にしぼんでいっちまった。
 母親は死に顔にとりすがったまんま、泣いて泣いて、また泣いて、放そうとしねえんだわ。無理もねえや。
 この期に及んで、流れ去った水はけっして元へはもどらねえと、あたしはいちおう慰めちゃみた。散った花に元の梢に戻れは無理難題だとね。
 へっ、強がりさ。あきらめ顔をとり繕って見せたところで、恩愛の絆ってもんは、そうやすやすと思い切れるもんじゃねえや。

   露の世は露の世ながらさりながら  一茶

 あれは去る四月十六日のことだった。奥州路へとちょいと長い旅へ出る気になって、まず善光寺さんにお参りしたんだが、そこでとある事情ができてね、旅は取り止めにして戻って来ちまった。今思えば、かような不幸が近づいてるからと、道祖神さまがお引止めくださったのかねえ。

一朴抄訳⑪