一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

タイムリミット


 ビッグエーでレジ清算を了え、買った物をバッグに詰めていたときのこと。

 牛乳パックやらロクピーチーズやら、包装のしっかりしたものは心配ないとして、竹輪だの大豆水煮だのラッキョだの、包装が頼りなさそうなものや、それまで冷蔵されていたために表面に水滴を結ぶ恐れのあるものについては、作業台に備えつけのビニール袋が助かる。
 ロールから引き出して、ミシン目にそって一袋分を切取った。密着した二枚重ねを指先で揉むようにして開けば、袋状になる。が、指先の皮膚に潤いがない。指紋すら擦り減っている。ビニールは云うことを聴いてくれない。不行儀と承知しつつも、つい指先をペロリと舐めようとした。長年の癖だ。
 今日に限って、舐められなかった。マスクしたままだった。ロールの脇に湿らせたスポンジタオルが置かれてある。初めから横着せず、不行儀をしなければよかったのだ。
 湿らせた指で、小さな入口を開けた。広げるために、今度はそこから息を吹込もうとした。

 地井武男さんによる素朴な散歩番組「ちい散歩」がユーチューブに揚っていて、大塚だの目白だの、いささか土地勘ある街が出てきたので、ついクリックして懐かしく観ていた。するとどういうカラクリになっているものか、この視聴者にはこれがお奨めとばかりに、東中野、江古田とだんだん拙宅に近づいて来て、ついにわが最寄り駅とわが町を地井さんが歩かれた番組が映し出された。
 そういえば昔話題になって、一見に及んだことがある。すっかり忘れていた。で、ついつい眺め入ってしまった。

 街並みに変化はないが、建物はずいぶん建て替っている。今はなき懐かしき商店も多々ある。初対面の地井さん相手に、店先へ出てきて親しげに話し、嬉しそうに握手している人たちのいく人かは、すでに鬼籍に入られている。
 素人相手にぶっつけで話しかける番組を、いかにして撮るもんだか、まったく知らない。おそらくは放送された分よりもかなり多くの人たちに話しかけ、収録し、面白味のある部分を選択編集してあるのだろう。素材ビデオをノーカットで観せていただきたいものだ。
 番組内で地井さんもおっしゃっている、大都会池袋から少し入っただけなのに、下町の香りのする町であり、人びとであると。2010年6月に放送されたそうだ。ちょうど二年後の2012年6月 に、地井武男さんも亡くなられた。

 ご近所にまた一軒、お洒落な飲食店が開店した。屋号の脇に「○○店」とあるところを視ると、実績ある会社によるチェーン店なのだろうか。有名プロスポーツ選手やアイドル系女性タレントさんのお名前で、賑にぎしくお祝いの花スタンドが並んでいる。
 大都会からほど近いこの町で、きっとこのセンスは受けるはずとの意気込みが感じられる。たしかにお若い客層から、いっときは注目されるかもしれない。が、経営者さんはご存じなのだろうか。この町は、一見したところよりははるかに、下町ですぜ。

 目立たぬような間口の狭い店構えで、いつの間にか十年以上もご商売なさっておいでのお店もあるし、へえ、この町にもかような店が開店する時代になったのかと、衆目を惹きつつ短期間で撤退なさったお店も少なくない。
 私なんぞが想像も及ばぬ斬新なご商売が、根付いて欲しい。いや、新世代の住民がたのご活躍とともに、きっとさようなことになってゆくことだろう。
 さぁて、間に合うかなあ。当方にもタイムリミットってもんがある。なにせマスクしたまま指を舐めようとしたり、息を吹込もうとした耄碌ジジイである。