一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

八王子

JR 八王子駅改札外、なるほど。

 JR 八王子駅に下車したのは、さて何年ぶりだろうか。

 改札口を出るとすぐ、地元および近隣物産店の張り店が眼に着く。多摩地域や近県産の農産物と加工品だ。栽培中無農薬だの、無添加だのが謳われている。新米があり豆があり芋がある。視たことない種類のカボチャがある。三ケ日蜜柑がある。手作り味噌がある。食指が動くものかずかずあれど、今の私には贅沢品だ。眺める愉しみに留める。
 中央線沿線駅構内には、自然食系の出店がしばしば眼に着く。さような商品に眼の効く住民が多いのだろう。私なんぞから見ると「意識高い系」のかたがただ。

 八王子へは、古書店巡りに過去数回来た。伝統の街らしく、品揃えも商いのなさりかたも、堂々とした店がある。私にとっては印象の好ましい街である。
 店舗数としては一日をつぶすほどはないので、ローカル鉄道で町田へ移動する、つまり八王子・町田コースが、一日の行程だった。
 それとは別に、八王子市役所による住民サービスの催しで、お喋りに呼んでいただいたことがあった。百名くらいの会場で、地元に少し所縁ある北村透谷の周辺についてお喋りした。駅前からバスで三十分以上も入った静かな町で、畑を近景にしてあんまりにも近くに山やまの威容が連なるので、息を呑んだものだった。

 何年ぶりかで駅前を眺め渡すと、きれいなビル群がいっそう立派になったように見える。くまざわ書店さんはもとの場所にあるし、喫茶店ルノアールも記憶の場所にある。が、街全体がきれいになっている。


 約束まで一時間の余裕しかないので、駅に近いご当地最有力店さんだけ覗く。目抜き通りのビル一階に店を構えて、二階は有名な麻雀チェーン店だ。プロ雀士もたくさん訪れ、腕試ししたいマニアに人気の店で、麻雀番組のスポンサーもしている。プロ雀士団体戦大会にはチームを編成して出場してもいる。が、今は麻雀の噺は措くとして。

 世に云うウナギの寝床。間口はこぢんまりしていて、奥行きの深い古書店さんだ。間取りだけでなく、品揃えもさようである。なにかが見つかる。意表を突いたものに出くわす。今どきこれがあるかと思い出させるようなものも出る。整理元年処分元年を標榜する身には、どうにも困った書店さんである。
 思うに、市場での仕入れが主ではなかろう。買取りの客筋が非常によろしいのではないだろうか。これがまとまって出てくるのか、というような商品に出くわす。入店してすぐの棚に、杉浦明平の著作がズラリと並んでいた。有名な『記録文学選集』の全巻揃いだけでなく、また文庫や文学全集収録巻でもなく、オリジナル単行本がこれほどまとまって並ぶということは、尋常ではない。どこぞの蔵書家が一括で手放したとしか考えられない。
 うーむ、と唸ってはみたものの、それ一括して引取りましょう、なんぞと云い出す根性は、むろん今の私にはない。

 芥川比呂志『書簡集』。名随筆二巻の裏打ちになる事実が見えるか、また学生時代から交流があったはずの堀田善衞や串田孫一ほかについての逸話は見えないかと思い、買った。アンブローズ・ビアス『生のさなかにも』完訳版。文庫版や選集に拾われていない短篇も、このさい視ておくかという気が起きて、買った。

 さて約束の刻限。改札口へ戻って、古い仲間二人とおち合い、昼飲み。近年は明るいうちに飲みはじめて、早上りが原則となりつつある。
 健康状態の情報交換。友人たちの消息。死んだ者たちの思い出噺。互いに無事に過せて、旅行が可能であれば、次はどこにするかの相談。
 街が人工色に彩られはじめた時刻には散開。夕刻の上り電車は腰掛けられる。居眠りして新宿を乗越し、四谷下車。地下鉄で帰るか、いっそ駅を出てここらの懐かしき店へでもと一瞬考えるも、思い留まって新宿まで戻る。下り電車は混んでいる。新宿でも駅を出ようかと、かなり真剣に迷う。どの店でも「おや、生きてたかい」と挨拶されそうだ。

 

 つまりはわが町の、いつもの席だ。帰宅して台所をする気も起きない。今日はまだ玉子を口にしていなかった。一日一個が原則。
 近年の暮しにあっては例外と申せるほど、今日は飲んだ。明朝は体重計の目盛りが跳ね上っていることだろう。