一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

よその春



 高円寺駅前の植込みでは、白花ツツジのつぼみがいっせいに自己主張。油断してると咲いてしまうぞと、人間をどやしつけているかのような勢いだ。街路樹のハナミヅキも、開花し始めている。いずれもわが町より早い。

 西部古書会館があるから、かつて高円寺駅には頻繁に下車した。古書会館以外にも、特色豊かな有力古書店がなん軒もあったから、高円寺は好天に恵まれた週末の小一日を、独り歩きで愉しむに恰好な街だった。
 が、近年はめっきり回数が減った。高架線下の雑多地帯を整理・美化する自治体方針だろうか、個性的古書店が次つぎに姿を消していったからだ。それ以上に、読む時間がもはや残されてないにもかかわらず、念のために押えておいてざっとでも眺めておくという購買動機を、私自身が維持できなくなってきたからでもある。

 今では、自身の買物や探しものというよりは、初心者の若者を案内する目的で高円寺を歩くことが多い。書店の棚を観ても、注目したり食指が動いたりする棚は少ないから、物色もすぐ済んでしまう。若者たちが散策したり買物したり、街歩きを愉しんだり昼食を摂ったりする時間に、私は失敬して、まだ観ぬ方へと束の間散歩をさせてもらったりする。

 

 好天に恵まれた日曜のこととて、公園は幼児たちの声で溢れかえっている。お母さんがたのみならず、お父さんがたの姿も多い。沿道には、運転手が仮眠休憩を取っているらしいタクシーが停まっている。
 公園を視守るモニュメントたる彫刻銅像の前でじっと立ち止ったりするのは、私一人だ。地元のご定連にとっては観慣れた、珍しくもない銅像なのだろう。台座の周囲を回ってみたが、作者名も建立日付も彫りこまれてない。作品名は「ねがい」とあった。建立時には、住民の安全や町の平安を祈って、切ない想いが込められた像だったにちがいない。

 公園の隅で植込みを囲っているコンクリート柵に腰を預けて、ビッグエーで買って携帯してきたおにぎり二個をポケットから取出し、包装を破いて頬張った。今日はトリ五目とワサビ稲荷だ。赤飯おにぎりを欠かさぬ時代もあった。アンパンやコロッケパンの時代もあった。
 長年の古本屋巡りで身に着いた作法だ。昼食休憩をしにくい街もある。時間が惜しい場合もある。小遣いに不安があって、わずかでも倹約したい時代だってあった。

 

 現在の高円寺は、お洒落タウンだ。それぞれ独自の美意識を主張する衣料品店やアクセサリー店やセレクトショップ、食料品店や飲食店やカフェが多い。他店と価格競争を繰広げるには及ばなそうな店が眼に着く。ハンドメイドの革靴とミリタリールック用品専門店で足が停まった。三十歳若ければ、この店の定連となったかも知れないなんぞと、ふと想ったりした。
 それでいて、お洒落地帯から一歩外れると、同じ品ならどこより安い式の活発な市場や量販店が軒を連ねるのだから、いかなる基準でも住み分けられる多彩でタフな街である。東京でもっとも好きな街はと訊ねられたアンケートに、この街と応える人があるのも故なきことではない。

 だが私はこの街へ引越しては来ない。魅力も価値も疑うところではないが、私にとっては済んでしまったことが多い。今の私には、明度が高過ぎる。眩しい気すらする。
 昼食休憩を済ませただろう若者たちと再度おち逢うために、駅前へと戻る。やはりこの街のツツジもハナミヅキも、わが町より早い。