一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

別勘定

エル・グレコ(1541 - 1614)、『受胎告知』(部分)

 倉敷の大原美術館へ入って、最初の部屋である一階大広間の右端の壁に陳列された、展示番号一番の画である。(今は知らない。四十年も前に訪れたさいの記憶だ。)

 天使来臨して、聖処女マリアに奇跡の受胎を告げる。マリアは驚きと憧れとを隠さぬままに、天使のお告げを歓迎する。二人の四本の手の表現がことのほか神秘的かつ象徴的と、古来評されてきたという。
 若かった私は、宗教的感動とは無縁だった。神秘性も象徴性もへったくれもなかった。が、マリアのこの眼つきはただごとでないと、刃物を突き付けられたような怖ろしさを直感して、その場に釘づけになった。息苦しかった。
 今思えば、ろくに画を観てはいなかったに相違ない。それが証拠には、マリアの表情を今に記憶するばかりで、天使のほうは完全に記憶から脱落している。絵画描写としてはむしろ、こちらが重要であろうのに。まったく、素人の当てずっぽう鑑賞なんぞというものは、始末に負えぬもんである。
 色彩についても、闇だか夜空だか洞窟内だかといった背景を、階調玄妙なる灰緑と称ぶべきなのだろうが、私の記憶には心にじかに突き刺さってくる鮮烈な緑として残っている。

 それやこれや、若き日の私の眼がいかに感傷的で、自己流思い込みでしかものを観ていなかったかを、生きている間に確かめてみたいと発心して、昨週あたり倉敷へと出かけてみる気に一度はなったのだったが、さような思い立ち自体が今の自分の分際に過ぎた思い上りに過ぎぬとの現実が生じて、断念した。というよりも眼が醒めて、正気に返った。
 六十歳代に二度の救急車騒ぎを起して、入院療養から復帰したとき、わが余生にもう遠出などありえぬと、ふたたび泊りがけの旅など望んではならぬと、みずからに戒めて娑婆復帰したはずではなかったか。それがこの数年大禍なく過せたくらいで、喉元過ぎればの振舞いは、あまりに浅はかだった。

 で、おりしも今日は若者たちに付合って、高円寺から荻窪への古書店散策だった。目玉は西部古書会館の「大均一市」だ。
 書籍としては値打ち物でも書店さんにとっては長年の吹溜り在庫。いつまで経っても現金化できないで資産勘定をいたずらに増すだけといった、税務上邪魔に等しい在庫がどうしても溜る。いっそ断裁証明付きで処分して資産から外してしまったほうが、税務上は楽だろうが、本としての文化的値打ちに鑑みてあまりに惜しい。
 さような在庫を各店さんが持ち寄っての大放出。均一価格市である。全集のバラ本、画集その他、こんなものまでという商品が全館全棚すべて価格百円均一である。リヤカーを曳いて買出しに馳せ参じたい光景だ。

 いかんいかん。生きてる間に読み切れない。身の周りから書籍と書類とを減らさねばならぬというのは、わが深刻なる目下の急務のはずである。
 とは申せ、いくらなんでも昨週の旅行断念があるので、まあこれくらいはと、つい自分に甘くなって、一九八〇年刊行の図録を買ってしまった。意志貫徹か感情に正直か。さんざん迷ったあげくの、百円出費であった。むろん本日の交通費、珈琲代、外食費などは別勘定として。