一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

長石


 パンと洋菓子の老舗永楽堂が閉店したのは、昨年七月のことだった。

 跡地は歯科医院となっている。今風にデンタル・クリニックとやらに。
 幅二十センチほどのコンクリート造作物が隣接ビルとの境界になっている。無理すれば跨げぬでもない膝丈ほどの高さだから、塀とは称べまい。アート的な目印とでも申そうか。コンクリートの枠内に、眼にも鮮やかな純白石が敷詰められてある。
 「これって……長石じゃないかな?」
 街なかの色としては不自然なほどに純白だが、道行く人の関心を惹いているようでもない。しかし六十年前の地質部員中学生としては、ありふれてはいない石の視過せぬ用法だ。近づいてつぶさに眺めると、ガラス質の光沢微粒片もふんだんに含まれている。

 天然ものでこれだけ純度の高い長石には、そうそうはお眼にかかれない。加えて相当数の石が敷詰められてあるのに、一個々々の形が見事に様ざまだ。あたかも上流で崩れた巨大な長石崖が、水に洗われ仲間の石と擦れ合いながら、何百年もかけて河口近くまで降りてきたという、それぞれ別様の形をしている。エクステリア・デザイナーはさように見立て、按配したのだろう。
 だが天然ものにしては、色があまりに均一に揃っていて、見事過ぎる。輸入石材には、かようなものもあるのだろうか。それとも私が無知なだけで、現代の技術をもってすれば人工の合成石材加工製品でもあるのだろうか。それにしては、今度は形やサイズがあまりにまちまちだ。つまり色の統一と形体の不統一、その兼合いが異様である。
 近づいて、二個三個を手に取ってみて、これはあんがい値の張る造作なのかもしれぬと思った。ただし成形の細部については、よく観ると人口研磨の匂いがした。河川にて自然摩耗したものではない。かといって硬い物質で研いだものでもない。水を混ぜた流動物質の中で転がすように成形したものだろうか。ともかくも光沢物質を多量に含んだ、なかなかの長石である。
 とりあえず一粒、拝借してきた。撮影が済んだので、明日は返しに行かねばならない。代りにもう一個、拝借して来てみようか。そんなこと、やめようか。

 ところで永楽堂の閉店日を確かめようと検索してみたら、正式屋号は「マザーエイラク」だそうだ。初めて知った。そういえばショウウィンドウに、筆記体のアルファベットでなにやらにょろにょろと書いてあったような気もする。が、あの場所にある老舗のパン屋は永楽堂なのである。いつごろ変ったのだろうか。
 この町へ移って来たのは、昭和二十九年だ。すでに永楽堂はこの町唯一の高級なパン屋さんだった。わが家の暮し向きにあっては、日常的にお付合いするパン屋さんは別にあった。
 ご多分に漏れず高度成長期のころから、日本人の暮し向きはめきめき上昇して、永楽堂に入店したところで、贅沢してるとの引け目をさほど感じないでも済むようになっていった。そのころからだろうか。マザーエイラクになったのは。まったく記憶にない。

 似た経験が数日前にもあった。ご出張で上京したお若い友人と、池袋で面談会食することになった。店選びを考えるにさいして、先方には出張荷物がおありだろうし、天候も心配だから、駅ビルから出ないほうがよろしかろうと判断した。以前よく使ったあの店は今も健在だろうか、定休日はどうなっているだろうか、調べておこうと検索してみた。「ブランデート東武」と。
 直接にはヒットしなかった。代りに Q&A 記事がヒットした。「ブランデート東武っていうのが、あるんですか?」対するベストアンサーなるものが紹介されてあった。「四十年ほど前に東武百貨店が新装なったとき、そう称ばれたので、その時代を謳歌した世代には記憶されているかも知れません」だとさ。
 えっ、ええっ、ブランデート東武って云わねえんだ。愕然とした。東武ショッピングモールの高層レストラン街、だそうだ。
 昔馴染みの店は変らずに営業していて、ひと安心はしたものの、当方には挨拶なしかよと、世の中全体に対していささか憮然たる想いだった。

 川口青果店にて、人参ひと袋、茄子ひと袋、生椎茸ふた袋。「カボチャもあるわよ」とオカミサンから云われた。年がら年中カボチャを食ってるジジイと知られている。
 「そりゃ来週あたり。今週はちょいと違うんだ」
 ビッグエーで鶏モモ肉のお徳用パック。ムネ肉でないところが、ささやかな贅沢。今シーズン最初の揚げびたしと決めてから買物に出たのだった。
 漬け汁の思いつき。水:酒を 2:1 から 3:1 にして、そのぶん通常出汁のほかに鰹節の 2,5 グラム小袋を丸まる加え、生姜の微塵切りをいつもの倍量入れてみる。そして醤油をわずかに減らす。砂糖と酢は従来のままとする。これで塩甘の濃味になるはずと踏んでいる。
 どうでもいいことだ。でも上着の右ポケットには、長石が一個入っている。