一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

撮り妓

「はんなり」さんユーチューブ動画チャンネルよりいただきました。

 撮り妓(とりこ):まだ辞書に登録されてないと思います。私の造語です。むろん「撮り鉄」からの借用です。遺憾ながら月並な着想ですから、どこかでどなたかが、すでに使っておられる語だとは思いますが。

 匂うがごとき桜道。京都観光動画がユーチューブ上に溢れかえっています。名所旧跡、神社仏閣、名のある小路坂道。桜花散り染め、貸衣装の和服を愉しむ外国人がたがしゃなりしゃなり。どうか佳き想い出をと、お祈り申します。
 さらに祇園ともなれば、先斗町だろうが花見小路だろうが、これが旧き街並かゆかしき伝統風景かと、歩いてみたい気になられても、止めはいたしませぬ。
 加えて四月は「都をどり」月間。祇園甲部歌舞練場へと出入りする芸妓さん舞妓さんの姿も多く、なろうことならひと眼でもこの眼に視むものと、あわよくばわがスマホにその姿を撮影したきものと、希うは外国旅情の自然かと。

 ただし界隈は、そこに生業を営むかたがたの生活エリアでございまして、観光エリアではございませぬ。芸妓さん舞妓さんがお茶屋へご挨拶に出向きますのも、歌舞練場へ出入りいたしますのも、彼女らの仕事でございます。ディズニーランドのミニィや白雪姫とは違うのでございます。行く手を阻むのは慎んでくださいまし。
 お茶屋「一力」はドナルドダックの丸太小屋ではございませぬ。暖簾を揚げて勝手に覗いたりしないでください。自撮り棒を挿入するのもおやめください。その点だけは、ご承知おきください。

 しかしその件は、界隈のかたがたも先刻ご承知で、オットット、イクスキューズミーもある程度はご愛敬でしょう。問題は、提灯も雪洞(ぼんぼり)も、立札も貼紙も読めるはずの日本人「撮り妓」がたです。お見受けしたところ、かの有名な「撮り鉄」がたよりも遥かに平均年齢が高そうですが、いずれの動画で拝見いたしましても、正直申して感心できませぬ。傲慢な申しようをお許し願いますが、恥をかなぐり捨てたお姿は醜悪でございます。
 地元媒体や地域広報の公式取材陣が一部混じっておいでなのは承知しております。ですが地元 PR 媒体がこれほど多数あるとは、私には信じられませぬ。ほとんどは全国各地から使命感か野心かに駆り立てられてお集りの、自称一流カメラマンなのでしょう。
 私は控えめに「撮り妓」さんなどと称ばせていただいておりますが、世間では迷惑パパラッチと称ばれておりますのを、ご存じでしょうか?

同上。

 出先から家(置屋)へ戻る舞妓さんの後を、「撮り妓」さんが行きます。平行する小路と小路とを梯子状につなぐ狭い軒下通路に、舞妓さんがたが差しかかります。そこが彼女らの日常的な抜け道・近道なのでしょう。「撮り妓」さんも入ってゆきます。
 反対方向から地元のかたが通路へ入ってきました。幅三尺かせいぜい四尺の通路です。とうていまともには擦れ違えませぬ。地元のかたは、壁に背を押しつけるようにして、舞妓さんがたに道を譲ります。
 「おおきに~」
 と、次の瞬間、どうでしょう。白髪の初老「撮り妓」さんも、地元の男性の前を無言で通り抜けていったのです。私は息を呑み、わが眼を疑いました。
 ―― オメエは、そこを通っちゃイケネエんだよ!!!

 だいぶ以前のことですが、「旅好きな日本人なら今の京都へは行きませぬ」とウッカリ書いてしまいまして、京都ご出身の友人から哀しいお叱りを受けてしまいました。ささやかな筆禍事件(?)でした。
 疫病禍が過ぎ、季節も佳し。日和も申し分なし。さぞかし今ごろの京都は、と想いはいたしますが、やはり旅好きの日本人であれば、今の京都へは。