一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

まずまずの日



 起床後ただちに、測定の日課。体重・検温・血圧・脈拍。毎朝とは限らない。昼間だったり夕方だったりする。就寝・起床の時刻がまちまちだからだ。測定後パソコンを開ける。メールチェックが済んで、ブログを開けてみる。
 今日は佳き日だ。どんだけゾロ目好きか。我がラッキーナンバー7も入っている。我ながら苦笑。でも、今の教科書では、鎌倉幕府開設はイイクニヒラクじゃないそうだよな。頼朝、征夷大将軍を拝命する。1185だったかしらん? 憶えていない。
 昨日も、佳き日だった。二日連続は珍しい。ひょっとすると、俺は幸せ者か? なんとも他愛ないもんだ。

 自分でインドやヨーロッパを直接眼にする機会はとうとうないまゝ、生涯を了えることになるだろう。俺が世界なんか考えたところで、たかが知れてる。
 学校に職があった時分、文芸学科の機関誌だったか広報だったかに、アンケートを求められたことがあった。設問のひとつに「旅してみたい所は?」なる項目があった。笑いがこみあげた。世界中、なろうことなら宇宙まで、に決ってるじゃねえか。だれだって同様だろうに。が、そのための準備をしているか、心構えはあるかと問われれば、ない。
 さて具体的にはとなると。岡山県児島のデニム街へ行ってみたい。庄内平野から鳥海山を眺めてみたい。伊豆七島の先端、青ヶ島へ行ってみたい。小笠原諸島へも。与那国島から台湾を眺めてみたい。坂本繁二郎香月泰男ほか、地方に居を構えて動じなかった芸術家たちのアトリエを見学してみたい。まだまだある。わんさかある。
 ものぐさの性分に少し鞭打てば、実現可能だ。人さまのお手を借りずとも、自分で計画実行できることばかりだ。が、計画してはいない。

ヘロドトス(b.c.480? - 420?)

 改めてアンケートの趣旨を想像する。学生諸君に向けて、講師の紹介また文芸学科のイメージ作りの一環だろう。月並でも生真面目でも面白くない。かといって嘘八百では不謹慎というものだ。実現性低い「夢」ではあっても、この講師はかような奴との感触が、読み手に伝わるような回答が望ましい。
 ―― エーゲ海沿岸地域、および島々。ヘロドトスが歩いた道を歩いてみたい。
 さように応えた。その地の田舎地域のどこかには、今でもそのまゝの地形や道が残っているのではないか。ヘロドトスが眼にした土石や草木や、朝陽夕陽は今でも視られるのではないかと夢想した。これなら気持に偽りはない。
 およそ二十年前のことなのに、今でも私の名前を検索するとこの回答がヒットしてしまうので、恐縮する。嘘ではなかったのだが、いかにも荒唐無稽に聞えはせぬか。設問者に対して不真面目と受取られはせぬか。忸怩たるものがある。


 行きつけの銭湯の両脇には、コインランドリーとコインシャワーが隣接されてある。いずれも二十四時間営業だ。私に馴染みのランドリーは別の店だし、シャワーは自宅だから、利用したことはない。
 湯屋とシャワー室との境界あたりに、煙草盆が立っている。山積みの残業をようやく一段落させた御仁が、とうに湯屋が閉店してしまった深夜に、帰宅の道すがらせめてものシャワーを浴びて、こゝで一服。また夜勤明けの御仁が早朝にシャワーを浴びて、今から出勤する人たちが過ぎゆくのを眺めながら、こゝで一服。眼に見えるようだ。

 私も湯上りの一服。頑固な鼻風邪が抜けずに、一週間ぶりの風呂だった。人通り絶えた往来で、今夜の街灯はいつになく綺麗だ。
 なぁんだ、まずまず佳き日じゃないか。