一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ユキノシタ



 入梅まではまだ間があるそうだが、予想外にのろま足だった低気圧に居据わられて、ここ数日空模様が悪かった。一転して今日は晴天。仕事で出歩くかたがたにとっては、半袖シャツも考慮すべき陽気だそうだ。明日からは、もっと暑くなるとのこと。急速に夏へと向うのだろうか。

 せめて要所だけでも、草むしりを急がねばならない。今日の三十分作業は建屋の東側で、ブロック塀とのあいだである。建屋裏手へと回る通路となっている。裏手にはガスメーターと、水道水を階上へ揚げるモーター設備とが設置されてある。
 ガス使用量を検針して支払い用紙を置いていってくださる女性職員さんが、月に一度ここを通る。「慣れてますから」と口ではおっしゃってくださるが、雑草生い茂るなかを歩くのは、たいしたお骨折りにちがいない。
 しかも触れると匂いが移るドクダミもあれば、季節によっては、実か種子かに微細ながら丈夫な毛が生えていてスラックスなどにへばり着くやつもある。払い落そうとしても、あんがいしぶとい。
 つまり繁茂のなかをお歩きいただくとご迷惑をおかけする。


 ところがこの通路は、拙宅敷地内にあっては屈指の、ユキノシタ群生箇所である。色にも形状にも、まことに観どころのある可愛らしい花を着ける。食用になる野草と聴いたが、まだ摘んで食卓に上げたことはない。
 ドクダミを摘んで薬用茶を仕立てた経験がないのと同様で、自宅に生えてくるために有難味が薄いのだろうか。それとも、やる気になればいつでもできると、高を括る気分があるのだろうか。自分自身の気分について、改めて考えてみたこともなかった。
 定年退屈男になったことだし、一度考えてみなければ。

 ともあれこの地域にも、ドクダミ、シダ類、ヤブガラシの無遠慮トリオはいる。かつて伐り倒したネズミモチの切株の根が新天地を探して、思わぬところから幼木が顔を出したりもする。いずこよりやって来たものか、クマザサの幼木まで顔を出している。
 いずれ劣らぬむくつけき生命力を誇るものどもだ。油断すれば手に負えぬ仕儀にと陥る。手加減はならない。ということは、一見可憐なユキノシタだけを残すというがごとき、繊細にして手間のかかる選別作業などしてはいられない。無差別に引っこ抜いてしまい、幼木はなるべく地面近くに剪定鋏を入れて伐り払ってしまうほかはないのだ。
 考えてもみよ。花姿が可憐だとついつい鼻の下を伸ばして、痛い目を視るにいたった経験など、十指に余るではないか。


 かかる次第で、本日もオーバータイムで作業一時間。つねよりも広域につき、視落し眼こぼしありで、とりあえずの雑作業を旨とする。この地域の地中瓦礫については、以前ある程度さらってあり、残るゴミは割鉢片と、小さな樹脂ラベルや金網などの鉢植え残骸が多い。引っこ抜き漏らした雑草ともども、ゴミ収集は次回の作業とする。かろうじて、メーター検針に通っていただける通路にはなった。
 引っこ抜いた草山三つ。ドクダミやシダ類の根が多いので、よくよく乾燥して完全枯死させてからでなければ、地中戻しは危ない。日程次第ではあるが、袋詰めしてゴミ回収に回すほかないかもしれない。
 また、ここはかねてより物色中だったヒガンバナ植替え地の有力候補だから、このさいネズミモチの切株も徹底除去したいところだ。しかしこの地はまた水道管と下水道管の埋設地域でもあるので、スコップその他による荒っぽい作業には注意を要する。