一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

たしか去年も

ひと坪ビフォー。

 昨年の今日の日記の題は「ひと坪」となっていて、ドクダミヤブガラシを引っこ抜いた噺となっている。本日と同じく、気持ちの好い日和だったのだろう。

 例により、無理は禁物。筋肉痛そのほかで、引続きのヤル気が途絶えてしまっては大ごとだ。なろうことなら日に三十分、朝飯前の作業にて日々継続することが望ましい。
 今日のひと坪には、かつて植木棚があった。あまりに老朽化して見苦しかったが、害にもなるまいと放置してきたのを、なん年か前にようやく撤去した。名残で、大小の古い鉢が散在している。というか、半分埋れてある。

 ドクダミとシダ類とを引っこ抜く第一段階。鉢を片づける第二段階となる。プラ鉢と陶器鉢との分類となり、さらに陶器鉢は素焼鉢と塗り鉢と割れ鉢の三分類となる。プラ鉢は小さければそのままゴミ袋ゆきでよろしかろうが、巨きいものはちょいと気が引けるから、まとめて不燃ゴミの袋行きとなる。割れ鉢は危険物の袋に詰めて、これも不燃ゴミとなる。形のしっかりした陶器鉢は、とくに再利用の途も思いつかぬが、すぐには捨てぬつもりだ。いずれの分類山も、陽当りの好いあたりに、ひとまず大きさ順に積み重ねておく。付着した土が乾燥して自然剥落するのを待つわけだ。雨にでも打たれてくれれば、洗う手間も省けよう。

 地面が顕れたら、小物漁りだ。植木鉢の底穴から土が漏れ出てゆかぬように、また根が伸び出してゆかぬように、鉢底には方形のごく細い金網を置いたものだが、その残骸がなかば埋れるようにして、土中からたくさん出てくる。
 またかつて母は、草もの鉢には丹念に植物名や品種名の札を刺し立てたものだった。いわば植木の付箋だ。頭が三角屋根となった、形状も大きさも付箋に似たプラスチック片が、地面から土中から出てくる。これも自然に土に還るには百年単位の時間がかかろうから、このさい漁ってゴミにする。これらがあんがい手間のかかる作業だ。

  さて第三段階は、穴を掘って、君子蘭の根分けと植替えだ。もともと彼ら(彼女らか、知らんけど)の居場所は、門扉から玄関までのわずかな飛び石通路の対岸側だった。今もそこに本家の子孫がいる。いつごろだったか大鉢が割れて、根の束が地表へ溢れ出した年があって、実害もあるまいと放っておいたところ、数年後には通路の対岸に分家を出した。
 旧弊になずむ本国より新興植民地に勢いがあるのは、アッティカよりイオニア海岸に哲学も数学も発達した例でも明瞭だ。彼らもいつの間にか、本家より巨きなバルブを形成するまでになった。いつの間にかとは云っても、十年以上かかってのことだが。そして日ごろは密林のごときドクダミやシダ類に埋れた恰好だが、死に絶えてはいない。
 このさい君子蘭には引導を渡そうかとも考えたが、この連中は、見事な花を咲かせようと思えば手間もかかるが、緑の葉と茎として暮してくれるぶんには、あまり気を遣うこともない。巨大化したバルブと根を二つに分けて、植替えることにした。
 ほんの一メートルの移動とはいえ場所が移るし、二分するさいに古い根っこもそうとう間引くから、かなりのストレスを与えることになる。負担を軽くしてやるために、ちょうど台風だったか大雨だったかで傷んだ葉が多かったので、地上部分も思いっきり小さくした。

 穴を掘ると、身長十数センチ、太さ五ミリほどか、よく成長したミミズが二匹現れた。スコップで負傷させることがなかったのは幸いだ。彼らは地中で絶大な力を持っている。指で丁寧に抓んで、当面穴を掘る予定のない地域へと移動してもらった。
 穴には古い生ゴミを投じる。バナナの皮は黒光りするほどになっている。カボチャの種とワタには薄緑色のカビが生え始めていた。前回の草むしり作業は一月だったから、三か月ぶんの発酵促進生ゴミの先発隊だ。匂いや毒を出さぬように密閉して、冷蔵庫に保管してきたものの一部が、ようやく陽の目を視て土に還る。

ひと坪アフター。

 かくして、ひと坪の草むしりは成った。かように遅々たる歩みでは、敷地内ひとわたりの草むしりが済むころには、最初の箇所が次の雑草に覆われてしまうではないかとの嘆息は、たしか去年もした。