一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ある事情があって

一木ビフォー。

 今日も日和に恵まれた。残念ながらあまりに風が強い。加えてとある事情もあって、土いじりには向かない。拙宅の玄関番ネズミモチの剪定をする。

 毎年この季節には同工異曲の日記となるが、同じことを考え行動しているのだからしかたがない。植物相手の「我が闘争」となれば、詮ずるところドクダミとのいたちごっこと、ネズミモチとの折合いである。
 モチノキ科は実を付けるので、鳥の餌となり、いずこからか運ばれてくる。狭い拙宅の敷地隙間にも、五株のネズミモチが芽を吹いた。いずれも放置していたところ、やがて始末に困る仕儀にいたった。
 四株については、地上部を伐り倒した。うちの三株は幼木のうちにわが手で処理したが、ひと株は隣家との目隠しに役立つかと、甘い顔をしているうちに、二階の窓にまで届くほど成長するわ、隣家に枝を伸ばしてご迷惑をおかけするわで、結局は植木職さんの手をお借りする破目となってしまった。

 四株いずれも地上部を伐り倒しただけで、切株は残っていたから、ヒコバエのごとき小枝をのべつ吹いてくる。そのつど剪定鋏で伐って何年かが経過した。これではならじと一念発起したのが昨年のこと、最小のひと株を掘起し、始末した。私の手で足りた。完璧を期したつもりだったが、根の一部が残存していたものか、数メートル先に幼芽が吹いてくる。が、この程度であれば、始末は容易だ。
 次に小さい株は、建屋と塀との距離がない、きわめて狭苦しい、作業しづらい場所なので、そのままにしてある。今もヒコバエ様の小枝とのべつ駆引き中だ。
 三番目に小さい株は作業環境が好かったので、始末を試みたが、四方に伸びた根は驚くほど頑強で、作業環境最悪の狭苦しい領域にまで伸びている。とりあえず、作業可能な方向に伸びたかなり太そうな根二本に鋸を入れて株から伐り放した。いずれもこれほど遠くにまで勢力を張っていたかと呆れるほど長い、しかも稲妻のごとく屈曲しながら分岐した根が掘り出された。塀だの建屋の土台だの地中の瓦礫だのにぶち当っては、苦労しながら伸長したものだろう。
 私には大仕事だった。が、その甲斐あってか、小枝が芽吹いてくる力はめっきり減退した。

 伐り倒したうちの最大株についても、周りを少し掘ってみると、とんでもなく丈夫そうな根が、何本も見えた。二階の窓にまで届いた中高木だ。当然だろう。どうやら最大と見える根が、作業可能な方向に延びているようなので、根の両脇からスコップで掘って太根の胴周りを露わにして、鋸を入れた。
 とんでもなく頑丈な根で、建屋の土台の下にまで潜り込んでいるため、それ以上追求は不可能で、できるところまでを掘り出した。感心するほど巨きな穴があいた。
 あちこちに積み山としてあった枯草類を大量にねじ込んだ。発酵促進剤として、ちょうどお若い友人の木村さんから本場の夕張メロンをご恵贈いただいた数日後だったので、巨大メロン一個ぶんの皮を刻んで埋め込んだ。土を盛ってマウンド状にして、ブロックと漬物石を乗せておいた。
 メロンの皮の発酵力は目覚ましく、今ではブロックの半身が土中に埋れるほどの状態だ。


 いずれも昨年の作業だった。さように五株のうち四株は今も切株状態にあって掃討作戦継続中だが、ひと株だけ国交を結んでいるのが、玄関番である。ただ今、胡麻粒大の小花の盛りで、これを放置すると、やがて鳥たちから歓ばれることとなり、ご近所のどちらさまかでお手間を煩わせることになりかねない。今が第一の剪定時期なのだ。
 花の着いた枝を漏れなく剪る。玄関番が当主より背が高い必要はあるまいから、樹高を私の背丈ほどに詰める。病害虫の季節を迎えることとて、病葉や繁茂し過ぎた枝葉を間引いて、樹内の風通しを好くする。以上三点が本日の眼目となる。

 今ごろの剪定は、やや軽めである。夏のあいだ十分に陽を浴びられるように、葉狩りを控えめにしておく。するともの凄い勢いで徒長枝を伸ばし背丈も伸び、枝数も葉の量も増やしてくる。秋の剪定では、休眠期の負担を軽くするために、思いきり枝葉を刈り取ってやる。
 散歩途上で、植木職さんを入れておられるお宅の庭木たちの冬を迎える姿といったら、これほど丸坊主にしてしまってよろしいのかと、訝られるほどだ。あれほど剪定する度胸は、私にはない。素人がうっかり真似しようものなら、好くない結果になるだろう。したがって拙宅では、初夏の剪定よりは思い切って、という程度である。

一木アフター。

 好天に恵まれたが、強風とある事情とで、ひと坪草むしりの予定を変更した。事情とは、昨日のわずかな作業でも、今朝は筋肉痛に見舞われた。疫病下の引籠り暮しによる運動不足はひどいもんだ。それに去年より今年という、着々たる老化か。