一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

名残り猛暑

 嫌な暑さだった。カボチャが花を着けた。二輪三輪。ツボミもいくつか見える。どうしたもんだろうか。どうしてみようもない。それでも、どうしたもんかと考えてしう。そういうもんだ。

 山手通りを越えた東側へ、散歩の足を延してみた。住所で申せば、西池袋地域だ。以前はよく歩いた。古くからお世話になってきた歯科医院がある。なん年も歯の治療と口腔管理をサボっている。ジロー(愛用自転車)にても繁く往来した。池袋はもとより、西池袋を経由して高田馬場から新宿あたりまでは、また大塚から本郷・千駄木あたりまでも、ジローで出掛けた。
 疫病対応で外出を極力自粛し、知友との交際の場もほとんど辞退し、酒場通いも断った。散歩の習慣すら放棄した。食糧の買出し以外では、敷地内からろくに踏出さぬような暮しだ。うがい手洗い、換気にマスク、お上の云いつけは忠実に遵守した。ただしワクチンは一度も接種しなかった。足腰は急速に衰えた。よんどころない用足しで、たまに私鉄で池袋まで出掛けると、たいそうくたびれるようになった。人混みに酔ってしまう。


 関東大震災の教訓による新都市計画により、東京市へ出入りする放射状の街道を相互に連絡する環状道路が、一号から八号まで構想された。明治通りが五号線、山手通りが六号線で、外側が今のカンナナ・カンパチである。
 すでに武蔵野鉄道は運行されていて、金剛院さまのご門前にして神社の大鳥居前には、駅が開業されていた。後年西武鉄道と合併することになる私鉄路線である。
 そこへ今度は、環状六号線こと山手通り構想だ。本地垂迹説時代はひとつの宗教施設にして、神仏分離後は塀一枚で隣接していた神社と寺院とは、かつて南側の鼻先を鉄路と駅によって塞がれ、今度は東側を計画道路によって掠め取られるにいたった。
 鉄路を引き剥がすわけにもゆくまい。陸橋が設けられ、山手通りは鉄路を跨いだ。金剛院さまの山門前は駅だが、お勝手口や内輪の駐車場は山手通りに面することとなった。

 駅前つまり金剛院さまのご門前から東方向へとガードをくぐったさきに、西池袋第二公園がある。今はサルスベリが満開だ。公園としての歴史は浅い。どう名付けようもない空地だった時分を、私は記憶している。
 遠い昔は金剛院さまの境内の一部だったのではないだろうか。あるいは寺院周辺の余裕ある未使用地だったろう。山手通り構想によってもぎ取られ、半端な空地となったのだろう。しかもかなり高低差のある傾斜地だ。
 陸橋建造については、大量の盛土が必要だったろう。初めから切立った崖で作業などできまい。鉄骨やコンクリートによる基礎工事が済んだら、あたりをこんもりと盛上げたマウンドにして、十分に突き固めてから、傾斜を計りつつ道路を造り、アスファルトを敷いて、最後に護岸工事でもするように、周辺道路のと関連を研ぎ出していったのではないだろうか。

 かつては土手だったり足場だったり資材置場だったり、安全管理のための遊び地だったりした土地が、今の西池袋第二公園なのだろう。陸橋頂上へと向う山手通りの登坂と、ガード下へと降る側道とに挟まれた、奥行きはつい眼と鼻のくせに間口だけは異様に長い、帯状の公園である。元の地形が急傾斜につき、いずれの出入口にも数段の階段が取付けられ、園内にも段差が設けられてある。
 百貨店や大きな駅で、昇降のエスカレーターがすれ違う地点で、不思議なネジレ空間の感覚を味わうことがある。あのすれ違い感ネジレ感覚が公園化されてある。宅地化・市街地化いずれの観点からも、有効活用しにくい土地だった。
 桜の巨木がふた株だけある。まだ公園と名付けられてない時分には、近所のスナックでの飲み仲間たちと、樹下に花見酒を酌んだこともあった。ほかの花見客など影も形もなかった。


 もともと住宅地で、商店の少ない地域ではあったが、見覚えのある店はなかった。小学校とすいどーばた美術学院は健在だったが、いずれも建物は変っていた。わずか一時間ほどぶらぶらしただけで、頭がオーバーヒート状態となり、息苦しくなった。辻にぽつんと一台だけ立っていた飲料自販機に駈寄った。
 陽盛りは過ぎたろうからと、午後三時に家を出たのだったが、四時半近くには、神社脇のお宅のご門前に失礼して、ひと息つかせていただく。蝉たちは絶好調だ。十日ほど前には、油9にミンミン1だったのが、今や半々だ。が、ミンミンの声は耳立つから、実際のアタマ数は油のほうが多いのだろうが。

 すっかり歩幅が狭くなった体たらくで帰宅。浴室へ直行して、ただちに冷水シャワーを浴びる。本日の作業および読書予定はキャンセルだ。
 世界陸上の中継でも観て過そうかというのは、なん年も前までのこと。今は女性雀士たちによる夕刊フジ杯争奪2024リーグのライブを眺めて過す。そのくせ自分自身が牌に触れることは、もう生涯あるまいと思っている。注目していたお嬢さんたちが、どなたも有名プロ雀士になってしまい、応援のし甲斐がない。
 富士通レッドウェーブにおいて、篠崎澪が引退し町田瑠唯がアイドル的有名選手になってしまったことで、コートサイドにまで出向かなくなってしまったのと同様だ。とある時代の、いまだ多くからは知られざる「傑出」を見出して、密かに贔屓する愉しさから遠ざかりつつある。新たなる対象を発見する感度が鈍ってきたと思われる。
 夜が更けてから、左膝の関節が痛んだ。就寝前に、もう一度冷水シャワーを浴びる。首筋も額も熱っぽい。冷凍庫から年中凍らせっぱなしのアイスノン氷枕を取出して、タオルに包んだ。