一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

身辺近代史の終り



 ナンバースリーの値打ちということを、しきりと考えた年頃があった。会社員だった時期だ。

 周恩来の人柄についての、称賛の弁は多い。風貌・物腰・表情からも、世界に好印象を振撒いてきたにちがいない。毛沢東には田舎のトッツァンめいた、頑丈で剛直な人といった印象があるが、周恩来にはしなやかなジェントルマンの印象がある。
 しかし共産党草創期からの闘争において、つねに毛沢東と苦労を共にしてきた人だ。もの柔らかなバランス人間なんぞと片づけられる人であるはずがない。

 たび重なる党内の路線対立や権力闘争にも、破れずに来た。つねに党内第三位か第四位かの地位にあって、しかも抜群の実務処理能力を発揮してきた。党内第二位にまでのし上った者は、確実に権力者から警戒される。些少の食違いも路線対立の火種となりやすい。が、実態は知らぬが表面的には、周恩来には党中央から危険視されたことなど皆無だったように見える。
 本当だろうか。どうすればそんな身のこなしができるのだろうか。いったいどんな人だったのだろうか。いつか周恩来の人となりについて、じっくり学んでみたいとの野望を抱いたものだった。

 ところが時の流れは私の目論見なんぞよりもはるかに速く、ナンバースリーだのフォーだのを考える必要などない身の上に、またたく間になってしまった。それどころか同志一人さえ容易には見当らぬ、ポツネンとした暮しを強いられる破目に立ち至ったのだった。
 それに加えて、中国の近代史と今の中国とが、あまりに懸け離れてしまったようにも見える。
 金冲及 編『周恩来伝』上下二巻(岩波書店)ならびに蘇叔陽『人間周恩来』(サイマル出版会)を、古書肆に出す。

 思い返しても、大きな事件だった。それどころか今にして思えば、当時考えた以上に大きな事件だったとも思える。天安門事件である。
 中国の政治史についてろくに知りもせぬ身で、自説は遠慮する。が、あのとき実際にはなにがあったのか。報道から漏れた細部で、どんなことが進行していたのか。なにをどう考えるにせよ、事実認識の共有が基本となる。『天安門文書』(文藝春秋)は多方面での事実の推移を時系列に、注意深くまとめたドキュメンタリーだ。今後も値打ちの消えぬ本である。が、私はもう、遡って勉強することもあるまい。古書肆に出す。
 胡縄『中国近代史』(平凡社)も付ける。

 書架の目立たぬところから、茅盾と巴金の小説が出てきた。いつぞや茅盾その他を出したさいの、出し忘れである。巴金の『滅亡』(雲井書店)、『憩園』(岩波新書)だが、『現代中国文学 4』(河出書房新社)にも『憩園』が収録されてある。余談ながら、岩波新書に小説があったとは……。
 茅盾『霜葉は二月の花に似て紅なり』『腐蝕』の二作が岩波文庫に入っていたなどと云ったところで、今の若者に信じてもらえるだろうか。長らく絶版かも知れぬが、こうしてここにある。今は『子夜』と訳されている旧訳の『真夜中』上下二巻(千代田書房)、『ホンコン脱出記』(弘道館)その他を付けて、古書肆に出す。
 『台湾現代小説選』から二冊が出てきたので、それも出す。

 中国の近代文学では、魯迅関連のみを残してある。複数の訳本もあり、日本の関連書も多いが、いずれを残しいずれを整理するべきか、ゆっくり考える時間が欲しい。
 現代文学では、高行健のみが残っている。この人については、もう一度考えてみたいことがある。