一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

労作


 その場では、なにげなく礼を申し、なにげなくディスクの配布を受けたのだったが、帰宅してから開いて中身を読み、落着いて考えてみると、たいした労作だ。

 他界した学友の遺稿集をまとめようという企画があって、その第一弾が、数名の骨折り人すなわち仲間交友の首脳陣の手によってデータ化された。数日前の酒宴の席で、ディスクが配布された。ご遺族や関係者に対しては、見映えのよろしい書籍のかたちでお示しすれば悦ばれるかもしれぬが、それは今後の課題であって、時間・手間・技術・予算ほか、諸般の事情でひとまずデータ化が達成されたというわけだ。おまけに発表紙誌や発表年月まで一覧できる収録目次の付録つきだ。
 この形式であれば、関係者の証言や回想など、今後増補してゆくことも容易だ。まことに賢明な判断による、有意義な達成といえる。

 他界した学友とは、中学・高校時代を共有したのだったが、仲間うちでも屈指の早熟な文学少年だった。ただ経営者の長男で、両親からは後継者として企業人たることを求められていた。文学書生として不良暮しなんぞにかまけてもいられなかったのである。悩みも葛藤も、そりゃあ巨きかったことだろう。
 企業人としていかばかりの修業と経験を積重ねていったものかは、私にはまったく窺うすべがない。三十歳を過ぎたころだったか、短篇小説集を自費出版してみずからにふんぎりをつけたものか、以後はますます経営者の面立ちとなっていった。

 今回学友骨折り人たちの尽力によって、中学生時分以来の文章が漏れなく一堂に集められた。おそらくほとんどは、ご家族すら初見の文章ではないだろうか。
 若き日の文学への夢、およびその成れの果て集団である交友圏と、ご家族を含めた実業の世界との、両世界の間に強固な壁を築いて、混淆混濁をきびしくいましめて生きたに相違ない故人の人物像の、秘められた部分が光に照らし出されるかもしれない。現に、故人の後継者にして子息の現社長は、この遺稿集を楽しみにしておられると伺った。

 ところで、骨折り人のひとりの言。
 「当時は早熟な奴だ、達者な奴だと思って読んだもんだけど、今読返すと、呆れるほど詰んねえんだよなあ」
 心底辟易したように嘆息した。そりゃそうだろう。まだ人生にも浮世にも、なにひとつ素手で触っちゃいなかったんだ。若書きが傑出しているなんていう、樋口一葉や北村透谷ごときが、おいそれとそこいらにいるわけじゃない。

 しかし骨折り人の嘆息に感じ入ったのは、その点ではない。このディスク一枚をまとめるために、首脳陣たちは学友の拙き若書きにいく度眼を通してくれたものだろうか。あだやおろそかな忍耐・友情ではない。
 私が台本もなしに、気ままに喋り散している音声を編集して、ユーチューブ番組にまとめてくださっているディレクター氏がある。編集技術について、私はなにも知らない。氏に任せきりだ。面白いから、好きでやってますと、云ってくださってはいる。しかし伺ってみると、編集過程では、部分再生してみたり前へ戻って聴き直したりで、一本完成までに素材音源を二十回はお聴きくださる勘定だそうである。
 えーっ、こんな音声を二十回も? 呆れた。そして感謝した。それ以上に、申しわけなく感じた。俺は楽させてもらってるんだなぁ、という思いである。

 今回の遺稿集ディスクについても同様だ。私はなんのお手伝いもできず、達成を享受させていただくのみだ。中身を読み始めて、つらつら考えてようやく、これはたいした労作だと痛感し始めたところだ。