一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

決りごと

 左から、ベーコンチーズ、メンチカツパン、ツナサラダパン。ベーカリー・ハラダ謹製。月例の験かつぎだ。

 「仕事」と称べるものは、月に二度か三度しかない。うち金額の多寡にかかわらずギャラを頂戴する仕事となると、年に十回内外だろう。「使命」「役割」となれば、だいぶ多くなる。現役社会人だったころから、金にならぬ用事が多いほうだった。「家事」「身辺用件」となると、これはもう連日びっしりである。
 ユーチューブの収録日だ。うっとうしい陽気のなか、機材一式をぎっしり収めた革トランクを提げて、ディレクター氏がご来訪くださる。社会人まっ盛りの氏にとっては、労多くして一円にもならぬから、これは道楽に分類されようが、私にとっては「金にならぬけれど仕事」である。
 だというのに、氏は毎度ご準備万端でご来訪くださるのに、私のほうは台本も作らずに出たとこ勝負。箇条書きメモに沿って喋るつもりが途中で脱線して、予期に反する場合もしばしばだ。尽力度にも達成度にも、均衡を欠いている。

 そのくせ私ときたら一丁前に仕事気取りで、スタジオ(亡父の仕事場)入りするさいには、カチカチッと切石を打つ。事前には、なんでもいいからカツと名の付いたものを口にする。まったくもって、われながら体裁をとり繕う男だ。

 正味二時間で済むはずの収録に、あれを想い出しこれを継ぎ足ししては、雑談の積重なり屋上に屋を架するがごとく、ディレクター氏を長時間お引留めする始末となる。途中で駄菓子や間食を頬張りつつ進行するとはいえ、切上げるころには、氏もさぞやお疲れだろうが、私もすっかり空腹である。
 若き日とは違う。睡眠時間と摂取栄養の均等は維持せねばならぬところなれども、宿痾のごとき悪癖にて、睡眠時間のほうは堅持しがたい。頼みの綱は食生活である。夜更けてよりの台所となる。


 わが常食である角皿と納豆とウィンナ目玉。今日の角皿は梅干・ラッキョウ・ニンニク味噌漬・ワサビ漬。和食にあるまじき 6P チーズを添える。キュウリの三杯酢にショウガ添え・小松菜お浸しに削り節たぷり・ツナマヨに擦り胡麻かけ・牛肉椎茸の佃煮(いただきもの)。昆布と若布を炊込んだ粥飯には、ちりめん山椒と紫蘇フリカケと青さ粉を載せる。
 通常のごとく、主菜なく脇役総出演の山賊膳だ。加えて食前には牛乳、食中には本日味噌汁省略につき麦茶、食後には珈琲である。献立の水準は問わぬ。要素の完備のみを追求する。不規則生活にあって、一気にバランスを回復しようとの存念だ。
 「ラジオ深夜便」を聴きながら、本日の喋り損ない箇所につき、あれこれ思い返す。「反省」というのとは少々異なる。むしろ老い衰えの確認である。