一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

道具の違い


  莫言(1955 - )。2012年、ノーベル文学賞を受賞。授賞理由は「幻覚的なリアリズムで民話・歴史・現在を融合させた」功績による。

 最初に莫言を知ったのは、張芸謀チャン・イーモウ)監督の映画『紅いコーリャン』の原作者としてだった。衝撃的な赤色を効果的に使いこなす、色彩主義の映画と理解した。
 地平線までコーリャン畑が続く山東省の穀倉地帯(すなわち酒処)を舞台とする、主人公夫婦のロマンチックな物語は面白かったが、酒蔵杜氏のリーダーたる共産党員や後半にいたって侵入してくる「残虐」日本軍の描きかたが紋切型で、なんだか共産党プロパガンダ映画の匂いもした。

 短篇をひとつふたつ読んでから、『酒国』に出逢った。得体の知れぬ奇怪な小説だ。村民だれもが食事代りにのべつ酒を飲んでいる村がある。なにやら事件が起きているらしいが、村外にはいっさい情報が洩れてこない。検事補だか調査官の役人だかがこれまでいく人も派遣されてきたが、ミイラ獲りがミイラとなったものか、ことごとく音信はふっつりと絶え、ひとりとして帰還してこない。
 使命を帯びて赴いた主人公は、村人たちからたいそう歓迎される。初対面の挨拶の場にまず酒が出る。この村では茶の代りだそうだ。以下残虐な目に遭わされることなどはないのだが、志操堅固な主人公がいつの間にか「わけの判らぬ」状態へと引きずり込まれてゆく噺である。
 ガルシア・マルケスの影響を強く受けた作家という。元を手繰るとフォークナーということになるらしい。「わけが判らぬ」迷宮へと深はまりしてゆくところは、ゴーゴリのようでもあり、カフカのようでもある。なるほどこれは現代小説だ、油断がならぬわいと、少々身構える気持になった。まだノーベル文学賞受賞よりだいぶ前のこととて、脇からの情報はほとんどなかった。著作に付された「訳者あとがき」などの解説を手がかりに、あれこれ推測するしかなかった。

 大作『豊乳肥臀』には感心もしたが、その何倍も驚き呆れた。時は蘆溝橋事件後の戦時中。土俗的因習も色濃く残る農村が舞台だ。主人公は九人姉弟の末子長男で、八女と主人公とは双子である。子だくさんもさることながら、主人公はなん歳になるまで母乳以外を口にしなかっただの、言葉が遅かっただの、日常的リアリズムを旨とする日本文学を読み慣れた読者にとっては、途方もない設定だ。
 日本軍が侵攻してくるとの噂が立つ。地方武力勢力の組織者でやがて日本軍の手先ともなる男が、長女を妻とした。地元にも自警団的な抗日運動が巻起るがその首謀者が、次女を妻とした。村外れには予言者のようでも宗教者のようでもある、なかば狂人的な世捨人が棲むが、三女はその恋人でやがて巫女となる。四女は女郎屋に売られる。抗日戦線はしだいに本格化し、村には共産軍が入ってくる。そのリーダーが五女を妻とした。やがて戦争が了って地域復興の過程で、アメリカ人の技師や軍人が乗込んでくる。その空軍士官が六女を妻とした。七女は人買いの市場に並ばせられ、ロシア人貴族の養女として買われてゆく。そして主人公とは双子の八女は、産れついての盲目である。

 大鉈で断ち割ったような、あまりに大仰な設定だ。それを作者は、果てしなく湧出する言語量によって語り通してしまう。突進して横断し切る力の凄まじさだ。
 一族の命運を語り尽すかたちで、戦雲の経過や村落共同体の変貌を、すなわちとある地域の近現代史を語り切ってしまう。いやはやたいへんな力業である。
 人間を見舞う大乱を描き制するには、この技法が最適なのかもしれない。きめ細かくはあってもちまちました日本文学の技法をもってしては、捉えきれぬ歴史なのかもしれない。評価はする。が、道具が違う。わが余生の友とする文学ではない。

 莫言は二〇一二年にノーベル文学賞を授与された。唯一の中華人民共和国国籍の受賞作家ということになっている。が、中国文学作品への授賞という点では、高行健がすでに先駆けて、二〇〇〇年に受賞していた。ただし文化大革命時代が扱われ、共産党政策の暗黒面が作品化されていたため、中国国内では長らく発禁状態だった。それに授賞時にはすでに、高行健は亡命しフランス国籍を取得していた。
 莫言を古書肆に出す。高行健は残す。

 このさい中国の現代文学あらかたを出す。東南アジア関連ではベトナム小説と、ミャンマーではアウンサンスーチーの演説集を出す。わずか数冊しかないアフリカ作家たちの作品を出す。佐藤忠男韓国映画の精神』も出す。