一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

スタンバイ


 今日も暑くなりそうだ。珍しく人並の時刻に起床したので、朝の真似事でもしてみる気になって、郵便受けを覗きに出てみた。雑草の伸び具合なども、明るい陽射しのなかで正確に視ておきたい。
 と、駐車スペースの隅の窓の下に、視覚えあるアルミ梯子が横たえられてある。延ばしたり縮めたりが可能な玄人仕様の梯子だ。スタンパイの合図である。緊張するというほどではないが、背筋が伸びる思いにはなる。

 老樹のいずこに、これだけの力が残っていたものだろうか。花を了えたあとの桜樹はたくましく葉を着け、根元へ寄ると木洩れ陽すら許さぬほどに繁茂している。放置すれば、晩秋に至って膨大な量の枯葉を降らせる。往来を汚す。風に転がってご近所のお玄関先まで汚す。
 またそうなるまで葉を留まらせては、樹の負担もひどい。来年の花に、めっきり力がなくなる。それでなくても老樹の宿命で、近年花色が薄まり、白っぽい花となってきているのに、加えて花の数も減る。今のうちに枝葉を刈り、必要なら丈を詰めて、負担を軽くしてやらねばならない。

 「桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」と昔から云われてきた。桜の剪定はたいそうむづかしい。伐りかたを間違えると、切口から傷み始めて、ひどい場合には樹を枯れさせてしまうことすらある。素人が生半可に手を出してもよろしい世界ではないのだ。
 梅の場合は、節という節から天に向けてむやみやたらに徒長枝を伸ばしてくるから、そのほとんどをチョキンチョキンと摘んでしまったほうがよろしい。手入れ法において対照的なのだ。

 時期の問題もある。梅雨明けから盛夏のころ、花芽が来る。一年にその時期だけだ。
 獰猛なほどに繁茂した葉が大車輪で養分を生産して蓄え、幹を太らせ若い枝を伸ばす。次の時代へ向けて躰を巨きくするべく、樹幹や樹皮や葉芽となる細胞を増殖させるわけだ。が、とある一時期が到来すると、来春咲かせる花となる細胞を産み出して各枝に着ける。むろん人間の眼になんぞ見えるはずのない、分裂前の単細胞だ。観察したところで、やがて他の部位となる細胞との視分けもつくまい。
 花芽が来る前に剪定を済ませておけば、残した枝それぞれの先端や表面に花芽を着ける。それらは来春いっせいに満開となる。
 剪定を秋に回せば、すでに花芽を着けてしまった枝を伐り、刈り込むことになる。その後も小枝は絶えず伸長するけれども、新たに花芽を着けることはない。つまり来年の花はめっきり寂しくなる。

 伐る枝と残す枝、伐る時期と伐らぬ時期。そんなことが私に見えるはずがない。拙宅唯一の庭木といえる桜樹ひと株のために、年に一回、植木職の親方のお手を拝借することにしてきた。
 梯子に乗っての枝降し作業に一日半から二日。降した枝葉を細かくしたり、根周りや下草の始末に一日。時間が余れば、桜の隣に立つ花梨や万両までさっぱりさせてくださって、都合三日ほどのお手間をかけていただく。
 「樹によろしい時期、親方のご都合よろしい時期を視計らいくださいまして。万端お任せいたしますので」
 判で捺したように毎年変らぬ口上で、お願いの電話を申しあげる。なにせ陽にあぶられるお仕事だし、雨にも強風にも邪魔されるお仕事だ。他家からのご依頼の立てこみ具合もあることだろう。何月何日と当方で指定することなど、できぬ相談だ。
 そして今朝、拙宅の駐車スペースに梯子が横たえられた。倉庫へ戻す手間を省略して、他の現場から直接運び込まれたのだろう。次はお宅ですゾ、の合図である。今年の電話依頼を申しあげてから、梅雨模様に阻まれて、三週間ほどが経っていた。

 今もゆかしき風習を維持されるお宅は多いことだろう。かつては植木職であれ大工であれ水道屋であれ、職人さんに入っていただく日というのは、家にとって大変な日であった。母に云いつけられて氷屋へと走り、一貫目か二貫目の氷を買ってきた。母は普段の倍の濃さの麦茶を大量に煮出して冷まし、大薬缶に移して、拳骨大ほどに大きく砕いた氷をいくつも投じた。それを濡れタオルに包んで水を薄く張った盥の内に据え、日陰に置いた。職人さんの十時と昼休み用である。昼休みが済むと薬缶を回収して、三時用の麦茶に差し替えた。季節によって、林檎か梨を切って、皮を剥いて出したりもした。
 情なくも面目ないことに、私には母のような接待ができない。ありし日のご町内のゆかしき風習を、拙宅では継承できてない。拙宅すぐ横には、飲料の自動販売機が二台並んでいる。徒歩数分の距離にコンビニもある。

 大薬缶はわが台所の収納に、今もある。かつてラグビーの試合中継をテレビで観ていると、選手が脳震盪を起してグラウンドに横たわるたびに、「魔法の水」が入った大薬缶を提げた二軍選手がベンチから走り寄ったものだった。まさしくあれは魔法の水であって、その水をぶっかけると、選手はことごとく眼を覚まし、プレイに復帰したものだった。
 あれと同じ大薬缶が、拙宅にも一個ある。しかし二十年以上も使用したことがない。土鍋だの重箱だの当り鉢だの、めったに使わぬ道具を収納の奥から久しぶりに引出したりするさいに、あァ、あの大薬缶があったなと、思い出す程度である。