一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

静寂が来た

 わが浴槽に空間が戻った。静寂も戻った。

 工事二日目。昨日は配管の水路設計を検分したり、見当をつけて当りを付けたりいくつか穴を掘ってみたりで、半日作業が了った。資財を持込んでの実質工事は、今日からだ。元栓が止まる。家中の蛇口から水が出なくなる。用足しには児童公園の公衆便所まで歩いた。
 屋外配管の保護材を除去する。昭和四十年代の鉄管が顕れる。懸念どおり、かなりI傷んでいた。曲り角の部分がことにひどい。外側の視た眼よりも、内側の錆びつきはもっとひどいらしい。
 現在の工法では、塩化ビニール管を用いるそうだ。保護材もブリキだかステンレス合金だかの丸筒ではなくて、幅広の接着テープでぐるぐる巻きにするのが普通だそうだ。表面加工された布だろうか。それより丈夫な不織布ででもあるのだろうか。その外をさらに保護するのだろうか。今はまだ判らない。
 向うなん年ほど保つものかは知らない。かりに昔の材質より短命だとしても、私の寿命よりは保つのだろう。不測の事態が生じぬかぎりは、この配管の視収めとなる。なって欲しい。

 なんの手伝いもでぬどころか、足手まといになるのが落ちだから、屋内に引込んで、パソコンに向っていた。土台ぎわをスコップで掘ったり、管を交換するのか出し入れしたり固定したり、ガサリゴソリという音が壁を伝わって室内へも響いてくる。
 あまりにも無関心に過ぎるのも、職人さんに失礼かと思って、時おり出て、進捗具合を観た。たいした工事になるぞと覚悟していたが、思いのほか作業は順調だ。
 「ここは済みました。次はあちらです。点検はあとでまとめてしますから。それにしても、しっかり建てられた、好い家ですね」
 それで思い出した。立派な家も洒落た家も、建てる気はないが、建坪当りの建築費単価はけっしてケチらなかったと、父は云っていた。父の気性である。いくぶんかは、私も受継いでいるように思われる。そんな気性で人生得だったか損だったかと申せば、帳尻は微妙という気がする。父も私も、満足のゆく人生だったとは申しがたい。

 屋外に新たな蛇口が取付けられた。従来の蛇口は廃棄されることとなる。屋外作業の後に手を洗ったり、植替え後の株に水をたっぷり与えたりする程度にしか使わないが、あれば助かる。父は考えもなく「気分の水撒き」に、母は植木棚の鉢の列への丹念な水やりにと、二人とも私より遥かに屋外で水を使った。私は今もって、棚の残骸や、土中から出てくる割鉢のかけらを、わずかづつ片づけている身の上だ。

 「中をやります」
 「どうぞ。紙だろうが布だろうが床に散らかっているものは、なんでも踏んづけて歩いてください」
 ゴミ屋敷然とした屋内を、用心しいしい歩いていただくのは恐縮だが、一夜漬けで掃除しても追っつかないから、普段のままだ。
 「バリバリの現役って感じですねぇ」
 散らかり放題の室内に、おりしも二台のパソコンが立上ってある。さよう見えても仕方ない。実際には、スマホを持たぬ身でたった一台の A 機を使って作業をし、かろうじて細ぼそと世間とつながっているだけだ。ウィンドウズ 7 を搭載したままの B 機は、アプリ相手に碁を打つためと、アダルトサイトを覗くためにしか使っていない。DVD で映画を観るためにも使っていたのだが、さすがにドライブ機能が著しく低下して、このところあまり役に立たなくなった。諸機能のアップデートもウイルス・クリーニングも、まったくしない。

 浴室と小キッチンのと蛇口を交換した。トイレと洗面所は、そうとうガタが来てはいるものの、支障なく使えているので、今回は手を着けぬこととした。
 職人さんがいったん外へ出てゆき、元栓を開く。戻る。蛇口をひねる。眼も覚めるように勢いの好い水の柱が立った。そうだった。水道の蛇口とは、かようなものだった。長らく視なかったような気がした。
 かくしてじつに久かたぶりに、浴室から気になる水漏れ音が聞えぬ日が訪れた。