一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

冷ますあいだに



 緊急な件で、職人さんにご来訪願うことになった。台所の時間がない。

 次食以降のために、飲料水と玉子焼きだけでも済ませておこうか。
 鍋に三カップ半の水を張り、紅茶ティーバックを放り込む。煮てしまう。沸騰しそうになったら、砂糖を差して、鍋ごと水桶に浮べて冷ます。冷めたらボットに移して冷蔵庫だ。マグカップに四杯か五杯ぶんだ。
 その間に「午後の紅茶」五百ミリの空きペットボトルに二本、甘水を作る。底に八ミリほど蜂蜜を落し、ぬるま湯で薄めるのだ。ほかに牛乳やインスタント珈琲を飲んだりもするから、これで二日分の飲料水はほぼ足りる。


 紅茶に取りかかる前に、小鍋の湯にとろろ昆布を少々溶いて、冷ましておいた。出汁巻玉子焼き用だ。出汁の素を使ってもみたし酒を使ってもみたが、私には加減が難しかった。とろろ昆布は無難だが、長くつながってしまうので、キッチン鋏でざく切りに細かくしてから溶く。
 玉子は三個。砂糖を投入したら、溶きながらわずかづつ昆布汁を差してゆく。おおよそ掻き混ぜところで、おまじないに醤油を茶匙半分ほど差して、さらに掻き混ぜる。
 あとは焼くだけだ。

 下手くそになったもんだ。かつて病人や要介護老人のために、週三回は玉子を焼いていた。在宅して自分で食事介助する日は、半熟目玉でもよろしいが、外出の用あってヘルパーさんに食事介助をお願いする日には、冷めても食べられる夕食を用意してから出かけねばならなかった。玉子はスクランブルか玉子焼きにするしかなかった。回数を重ねるうちに、視られるかたちの玉子焼きを焼けるようになったもんだが、独居老人となって、また下手くそに戻ってしまった。
 これが仕事だ使命だと思い込まねば、なにごとも巧くは行かぬものと見える。あの頃はたしかに、看病と介護は仕事であり、避けては通れぬ道だと考えていた。看病も介護も文学のうちと、自分に思い込ませるしかなかった。
 今は楽だ。自分に合った味でさえあれば、玉子焼きの姿なんぞ、どうでもいい。冷ましたら包丁を入れて、二日分のわが鶏卵ぶん摂取用となる。

 

 住人と同じく住いにもガタが来ている。水漏れする蛇口があったり、錆びついて水が出ない蛇口があったりする。パッキンや部品の交換なんぞという生やさしい程度ではない。長らく延ばし延ばしにしてきたが、着手せざるをえぬ仕儀となった。
 まずは設備工の親方に診断してもらう。建屋内の水回りと、周囲の配管状況とを診ていただくわけだ。とんとん拍子に噺が進めば、来週あたりから工事ということになるかもしれない。昭和の配管総取替えということにでもなれば、百五十万から二百万円の大工事となることだろう。

 今日は時間がない。ビッグエーの明太のり弁当で二百九十八円。タイムサービスにより十パーセント引きだ。