一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

たった二週間

 上は今朝、下は十月二十四日付の日記「念願の植替え」に用いた写真の使い回しである。

 彼岸花の第一球根群を二分割して植替えてから二週間あまり経った。時期も技法もわきまえぬ無謀行動だから、この機会に枯れて消えゆく破目に陥っても文句は云えないと、覚悟はしていた。
 球根群にとってみれば途方もなく大きな外科手術を受けるわけだから、負担は少しでも軽いほうがよかろうと、葉の大半を剪定鋏で刈り払った。ただし光合成の用具が皆無となっては生きてゆく手立てもなかろうから、丸坊主にはせず虎刈りにしておいた。
 幸い球根群は、生きようとする意欲を失うまでには至らなかったと見え、分封した二群とも、わずかながら葉を伸ばしてきている。葉先の切口に変化はない。なにか伸びてくるか、形が変形するかと眺めてきたが、粗っぽい虎刈りのままだ。葉の付根から、つまり球根の頭から、押上げるように細胞が増殖してくるらしい。動力は球根に宿っているのだから、考えてみれば当然だ。動物の傷口保護や再生機能のごときを思い浮べた私が、どうかしていた。
 それにしてもわずか二週間あまりだ。眼を驚かす復活といえる。彼岸花にとっては一年の伸長最盛期なのだろう。すぐ左隣の第二球根群から出た葉の繁茂ぶりからも、それは窺える。

 当日記は、フェイスブックとエックスにも日々転載してあるが、昨日付「時の陥没」に対しては、知友からコメントをいただいたり、わざわざお電話をくださるかたまでがあった。記憶の粗密、いわばまだら失念に触れたのだったが、お電話・コメントいずれの向きからも異口同音に、それは多岐独りの現象ではない、自分も思い当るとのお励ましのご趣旨だった。やはりどなたもさようであるかと、胸をなでおろす気がしたのはもちろんだが、すぐにまた、それにしたってなァという想いも湧いた。
 同一の体験や見聞をした二人にあっても、記憶の粗密は異なることだろう。だからこそ言葉による記録・表現が貴重となり、対人関係にあっては伝達・共有の重要性があるのだろう。

 重要な出来事なんぞめったにない私の日常にあって、この二週間はけっこう多用だった。旧い仲間たちとの「生存確認飲み会」があり、若者たちと交際する貴重な機会である古本屋研究会による藝祭(大学祭)参加があった。日程だの約束だのに無縁なわが日常にあっては、すこぶる楽しくはあるが同時にストレスをも感じる日々だった。
 今月末の亡父命日前後は忙しくなる公算が強いからと、ひと月前の月命日に金剛院さまへ参上し、墓詣りを済ませた。なん年ぶりかの無規制開催だというので、雑司ヶ谷鬼子母神さまのお会式にも出かけてみた。
 いまだかすかに残る世間さまとのご縁をありがたく感じての、歳暮の手配も済ませた。夏以来懸案だった浴室の蛇口水漏れが、調べてみると遡った配管全体の老朽化が原因と判明して、つましい暮しに不相応な大金を使って工事を依頼し敢行した。
 せめてこれだけはとことん精読してやろうと、ここしばらく念じてきた長篇小説の読みは、たいして進捗しなかった。

 と、考えてみて、ここにふたつの問題がすでにある。私にとって欠かすことのできぬ暮しの作業が、他のかたのお暮しにあっては、どうでもよい些事だろうという問題がひとつ。かく並べ挙げたうちの、お会式と水道工事とは、二週間以上前のことで、「このひと月」と云い直さねば該当しないという問題が今ひとつである。具体的細部までをも失念するはずのない最近の出来事であってさえ、前後関係の記憶はうっかりすると曖昧である。
 さような些事とうっかりとの天文学的数字に及ぶ集積が、半生というものなのだろう。七十年なんて、たいしたことねえなァと思う。そこへゆくと、彼岸花の二週間は、たいしたもんだ。