一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ボケ抵抗



 些末な日常にかまけることを良しとして過ごそうと、心掛けている。

 この夏、浴室の蛇口の水漏れがひどく、調べたらたんなる部品交換では済みそうになく、老朽化した配管の工事まですることとなり、思わぬ出費となった。そうまでして修理したのだが、じつは内風呂を炊かなくなって久しい。銭湯にかよっている。
 認知症が始まった時期の亡父は、しばしば風呂を煮え湯にしたもんだった。少しでも家事の助けになろうと思い立っては、点火したまま忘れてしまうようだった。耳の奥に遠くから響いてくるような低く嫌な音に気づいた私が駆けつけてみると、風呂が煮えたぎっていることがいく度もあった。そのたびに、大事に至らずまだしもだったと、肝を冷やした。
 私が今、その年齢に達している。なにか仕出かしても、聴きつけて事なきを保ってくれる家族は、私にはない。同じ理由で、ガスストーブも石油ストーブも放棄した。台所での煮炊きが、唯一の都市ガス使用だ。眼を離す気づかいがないので、これだけは許している。

 別の理由だが、エアコンを使わない。二十年近く室外機は音を立てていない。机の脚元では温風機が鳴っている。トイレにも小型の温風機が置かれてある。台所には、拙宅でたった一台の昭和の電気ストーブが置かれてある。ふだんは物置となっている部屋がユーチューブの収録スタジオに早変りする日には、来訪者もあることとて、電気ストーブと温風機とを提げて宅内を移動している。わが家は寒い家である。
 銭湯から帰っても、部屋は温まっていない。温風機の効果がゆっくり出てくるまでのあいだ、パソコン B 機で碁を打ちながら凌ぐ。といっても、同好の士とウェブ上で出会うネット碁ではない。アプリ相手のゲームだ。B 機はウィンドウズ 7 搭載のままだから、インターネットに接続する度胸はない。私にとってのパソコン指導者のお一人であるお若い友人の龍さんが、かつてダウンロードしておいてくださったものだ。今の私には、及ばぬと承知しつつもボケの進行に虚しく抵抗する、リクリエーションとも日常些事ともなっている。
 アプリ相手のゲームに過ぎないのに、いっこうに腕が上ってゆかない。勝ったり負けたりをなん年も繰り返してきた。人間相手と違って、勝とうとする慎重さがついつい疎かになる。ここはどうだろうとの岐路を迎えても読み尽さずに、エエイッやってしまえ、と冒険的過ぎる手を打って裏目に出る。つまり人間力未熟による自滅だ。
 惨めで悔しくはあるが、どうせ足元が温まるまでの時間つぶしだ。そんなふうに考えるから、なおのこと腕が上らない。

 机の周囲が少し温まってきて、さて夜鍋だと気合いを入れるべく、屋外の空気を吸いに出てみる。雨が降り続いていて、やや風もある。往来に落葉が散り始めている。今年もいよいよ箒と塵取りの季節が始まるのだろうか。これまた気晴らしの日常些末事だ。