一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

戦力外


 学友大北君から、毎年のご好意。蕪も生姜も、八百屋店頭で眼にするものより、格段に大ぶりだ。

 藝祭二日目である。わが古研が無事に開店できたのを確認後、学内散歩に出る。かつての恒例を踏襲して、昨日は絵画と彫刻とを観て歩いた。今日は写真学科の展示を観て歩く。若者たちの思索・感受性が端的に窺える気がするので、欠かせない。
 映画・演劇・放送系は上映・開演・放送時間が合わぬことが多いので、運次第だ。音楽系も然り。入場行列に並ぶ根気もない。デザイン学科に及んでは、私の手に余る物品販売も多く、老人がいきなり原宿で迷子になった気分に陥る。
 中庭の常設ステージで次つぎ上演されるライブ演奏やダンスパフォーマンスも、私の感覚記憶にあるロックともポップスとも異なるし、コスプレ系アイドルダンスも秋葉原系との違いが解らない。アントニオ猪木さんが、毎年のように「気合い入れビンタ」にお越しくださった時代とは、空気感が異なる。

 歩き疲れて、堂々堂へ戻る。しかしなんの手伝いもできない。戦力外会員である。
 通りかかった卒業生から、アイツまだいるなと思っていただくだけの存在だ。カーネル・サンダースの人形みないなもんだ。顔に視憶えがある人には軽く会釈。または手を挙げて挨拶。互いの生存確認といったところか。教員・職員の世代交代は近年著しく、サークル OB会などに所属していない卒業生にとっては、視知った顔に遭遇することも稀だろう。こんな年寄りにもかすかな役割があると云えるのだろうか。
 それにしても、かつての同僚教員の顔と出逢わない。なぜだろうか。まだ多忙なのだろうか。それとも若者の動向に関心がないのだろうか。解せない。

 上級生のゼミで卒論まで面倒を看た卒業生は、いくらなんでも顔を観た瞬間に名前も蘇る。が、下級生の基礎ゼミの場合には、個人差がある。
 ましてや大教室での講義科目の学生が、識別できるはずもない。毎回最前列で熱心に聴いてくれた名物学生であっても、おおむね名前が思い出せない。名乗られれば、あぁいたいた、となる。
 草鞋を脱いだ三大学を合計すれば、一万に若干欠ける数の若者の前で喋ったことになるだろうが、現在までお付合いが続いている卒業生となると、ほんのひと握りだ。我に還ってみれば、なんと他愛もないことか。だれしもこんなものなのだろうか。


 午後も深くなって、客足も峠を越した。かつてはその日の顔見知り来客に声を掛けて居酒屋へと土俵を移したもんだったが、今ではそうはゆかない。明日の打上げまで、体力を温存しなければならない。
 店仕舞その他は若者にお任せして、戦力外会員は独り、珈琲館へと退避だ。喫茶店も繁忙時間を過ぎている。読みかけの長篇の続きを読む。いく度も読んだ作品だが、生きてるあいだに微小細部までも読み取り尽したいと一念発起している作品があって、かつての自分の鉛筆書込みでぐじゃらぐじゃらに汚れきったページに眼を走らせる。十ページも読むと疲れてしまう。
 蕪は浅漬けと心に決めていたが、大根をそうするみたいに、油揚げと鶏肉とを合せて煮てみるかな、なんぞと考え始める。